俣野別邸庭園

2023/12/13

 俣野別邸庭園とは、戦前の洋風建築と庭園、さらにその広大な外苑を合わせた公園です。横浜市と藤沢市の境にあり住所は横浜市戸塚ですが、バスは藤沢からが便利。鎌倉からも近い、豊かな自然に囲まれた近代建築と庭園のある、知られざるスポットです。

2023/11/27
俣野別邸庭園 入り口 ここから左に入る
国道1号線バイパスの陸橋で越える
俣野別邸庭園 正門 しばらく進むと左手に本館が見えてくる

 俣野別邸の内苑にある本館は、1939(昭和14)年に建てられた和洋折衷住宅です。設計には建築家佐藤秀三があたりました。昭和初期のモダニズム影響下における、ハーフティンバー・スタイルを取り入れた和洋折衷住宅建築として評価され、2004(平成16)年7月に国の重要文化財に指定されました。
 しかし、2009(平成21)年に不審火により焼失し、2011(平成23)年に国指定重要文化財が解除されました。現在の建物は、既存建物の主要部分の焼失後、横浜市が公園施設として再建したものです。公園施設としての公開にあたり、一部改変、付加した部分はありますが、主な部屋の造りや仕上げはオリジナルのものを忠実に再現しています。
 2017(平成29)年2月10日、横浜市認定歴史的建造物となりました。同年4月に内苑は公開され、横浜市の施設として広く市民に開放されています。

玄関右手からみた本館
2023/11/27

 俣野別邸庭園の入園料は無料ですが、本邸の建物の内部を見学するには入館料400円(65歳以上350円)が必要です。まずは戦前の姿を伝えながら新築されたという、邸宅の中を見るのが良いでしょう。2階建ての各室を細部にわたりくまなく見ることができます。
 本邸は主屋棟と南棟、事務棟がY字形でつながっている珍しい平面構成を持ち、居間、食堂、サンルーム、書斎などが配置されています。部屋は洋室と和室があり、それぞれ内装にも意匠を凝らしています。二階にも広い展示室があり、晴天時には丹沢山系や富士山を望むことができます。
 なお、邸内には喫茶室ひだまりガーデンや、貸集会室があります。
 入り口から靴を持って邸内にあがり、見学が終わったら、別口から靴を履いて出て、内苑の庭園を散策し、次に外苑に向かいましょう。

健康ウォーク鎌倉の中まで押しかけました
2階展示室から見えた富士山
2023/12/13

 本邸の裏手に回ると、広々とした芝生の庭園。晴れた日は最高です。

2023/10/11
2023/10/11
2023/10/11
2023/11/27

 木立の中から見た別邸本館。まるでアメリカの………と言いたくなる景観です。

2023/12/13

 庭園を占拠した健康ウォークのみなさん。近くのベンチも使わせてもらい20人で楽しいお弁当タイム。

 本邸と芝生の庭園の周辺には、こんな花や紅葉が見られました。季節で違うでしょうが、のんびり探してみてください。

 外苑への道

本邸の庭の奥に、外苑に続く道があります。11月と12月に訪ねましたが、12月に入って一気に紅葉が進んだことが分かります。

 外苑は、住宅地の中にあることを忘れさせる静かな雰囲気に包まれており、四季折々のさまざまな花木や草花を楽しむことができます。のんびり歩けば、半日があっという間に過ぎてしまいます。

2023年10月11日の外苑

外苑の中心にある芝生広場 きれいに手入れされています。俣野三郎さんが活躍しているのでしょう。

 芝生広場の花 ガウラ(白蝶草)

 外苑の柿

外苑 休憩棟脇

 2023年は柿の当たり年だったのでしょうか。芝生広場の脇の柿の木は実がたわわでした。本邸の受付では、園内で採れた柿を売っていました。

本邸玄関の右手から、外苑を一望

 12月13日、年金者組合鎌倉支部の健康ウォークで俣野別邸庭園を訪ねました。ご覧のように紅葉が盛りでした。

 もみじ坂

 芝生の広場

芝生の広場の左手にあるのは桜です。花見にも良いかも。

ここが横浜市内とは思えない豊かな木々。
今日一日では回りきれませんでしたが、芝生広場の隣には四季の花苑や林の小径などがあります。
シャクナゲやアジサイも季節には花を咲かせます。
紅葉の時期だけでなく、春や梅雨時も来てみたいものです。
外苑を一周して本邸にもどりました。

2023/12/13
お手洗い

 帰りは国道1号線に戻り、鉄砲塚から藤沢か戸塚にバスで戻れます。距離的には大船も近いのですが、直接のバス便はありません。

 鉄砲宿のバス停があるのは国道1号線、というより旧東海道です。バス停の付近には桜並木になっており、良い雰囲気です。北の戸塚宿から、南の藤沢宿に向かうこのあたりは、江戸時代から行き交う人でいっぱいだったのではないでしょうか。今も正月の箱根駅伝はここを通りますが、車は先ほど渡ってきた陸橋の下を通るバイパスで一気に通り過ぎてしまいます。
 時間があったら、ここから南に降り、遊行寺へ、さらに昔の旅人になったつもりで藤沢宿を訪ねるのも良いでしょう。今日はこの近くを歩いてみましょう。

鉄砲宿

2023/11/27

「鉄砲宿」とは何か曰くがありそうですが、バス停の先の大きな椿の木の下の解説版にこんなことが書いてありました。

2023/11/27

 昔々このあたりにいた長者が自分の蔵に住み着いた大蛇を水神様のお使いとして「おはん」と名付け、大層かわいがっていました。ところが長者の家が没落し、大蛇への餌もままならなくなってきました。それをみた大蛇は長者様に迷惑はかけられないと、近くの池へ去って行きましたが、そこには十分な食料が無く、元々大食だった大蛇は空腹に耐えかねると池のほとりを歩く人の影を食べて飢えを凌いでいました。ところが影を食べられた人はだんだん弱ってしまうので、村人はこの池を影取池と呼んで恐れるようになりました。大蛇を退治しようとしたのですが、鉄砲を見ると大蛇は水底深く潜ってしまうので退治できません。村人は一計を案じ鉄砲の上手い猟師に頼んで昔の長者様のように「おはん」と名を呼びました。昔の飼い主が迎えに来たと思い込んだ大蛇は姿を現すと、ついに撃ち殺されてしまいました。いつしか影取池は埋められ影取の名と悲しい話だけが残されました。この大蛇を撃った漁師が住み着いたところを鉄砲宿と呼ぶようになったといいます。

 鉄砲宿から藤沢に戻るバスの次の駅、緑ヶ丘の近くには、俣野別邸と同じ昭和期に建てられた洋館「モーガン邸」がありますが、残念ながらこちらは常時公開では無く、開館日が限定されているので、また行ったことがありません。そのうちぜひ訪ねたいと思っています。 → モーガン邸開館日はこちら

俣野の庚申塚

 鉄砲宿バス停では無く、俣野別邸庭園正門前を右(北)に入ってしばらく行くと、交差点に大きな庚申塔が並んでいます。年号を見ると「元禄」の文字が見え、相当古いものでしかも大ぶりな立派なものです。

 左は南無大師金剛遍照とある弘法大師信仰の石標、覆いの左の三基は庚申塔、青面金剛童子塔、地神塔 右は二基の庚申塔と地蔵像です。

延宝5年(1677)
元禄5年(1692)
元禄2年(1689)

 いずれも元禄15年の赤穂浪士の仇討ちよりも前の時期のもの。このあたりは、旧東海道筋に当たり、藤沢と戸塚の中間に当たり、鎌倉・室町時代には鎌倉街道が通っていた交通の要衝でした。これらの庚申塔は古い道筋にあったものが集められたものでしょうが、俣野と言うこの辺り一帯が豊かな土地だったことを偲ばせます。

誰が建て、誰が住んでいたのか

 さて、俣野別邸庭園のご案内を終わるにあたり、この邸宅は一体誰が建てたのか、誰が住んでいたのか、当然知りたいと思われる問いに答えなければなりません。しかし、現在この建物と庭園を管理している公益財団法人・横浜綠の協会は、それについての情報を公開していません。
 現地の管理事務所にうかがったところ、横浜市がこの建物・庭園を譲り受けたとき、元の所有者から名前などを公表しないことを条件としたそうです。そこで、当サイトでもここではその名前を出さないことにします。
 ところがこの建物の設計者は佐藤秀三ひでぞうという人であることは公表されております。佐藤秀三(1897~1978)は山形県出身、大正・昭和期に活躍した建築家で、彼が創設した株式会社佐藤秀工務店(SATOHIDE corporation)は現在も建築・設計業者として活動を続けています。同社のホームページには、彼がどういう人物で、誰の依頼でこの建物を設計・建築したのか、経緯が紹介されており、そちらを見ると俣野別邸の施主も誰であったか、分かってしまいます。興味のある人は SATOHIDE corporation ホームページをご覧ください。

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