龍寶寺

龍寶寺 シャクヤクの寺

 大船フラワーセンターの近く、玉縄の龍寶寺(龍宝寺)は、戦国時代の玉縄城主北条氏の菩提寺として創建されました。鎌倉では珍しい曹洞宗の禅寺で、境内には玉縄歴史館、国の重要文化財の石井家住宅、新井白石碑などがあり、また4~5月のシャクヤクをはじめとする花で知られたお寺です。大船から歩ける範囲でもあり、ぜひ訪ねてほしいところです。フラワーセンターの前の道路を進み、トンネルを過ぎると右手に龍寶寺が見えてきます。

龍寶寺 データ

  • 曹洞宗      
  • 山号 陽谷山ようこくざん
  • 開山 泰絮たいじょ宗栄そうえい  
  • 開基 北条綱成つなしげ
  • 建立 16世紀中頃
  • 本尊 釈迦如来 
  • 玉縄北条氏歴代の菩提寺

〒247-0073 鎌倉市植木129 Tel.0467-46-2807 
交通 大船駅西口バスセンターより、神奈川中央バス 33番または39番 植木谷戸下車
   大船駅から歩いて20分 大船フラワーセンターから歩いて5分ほど
拝観料 なし  ※玉縄歴史館は大人200円/子供100円

龍寶寺 ガイド

 龍寶寺は寺伝では、1503(文亀3)年に、小田原北条氏の一族である北条綱成が、今より北の地に建てた香花院(または瑞光院)を、1575(天正3)年、4代城主氏勝の時に現在地に移したと言います。ご本尊は釈迦如来、脇侍に文殊菩薩と普賢菩薩がおられます。
 龍寶寺は、玉縄北条氏の菩提寺として、玉縄城の東に広大な境内を有していたようですが、豊臣秀吉によって小田原北条氏が滅ぼされ、玉縄城も明け渡されたため、次第に衰微しました。それでも玉縄地区では盛時を偲ばせる立派な寺院と言えます。
 残念ながら1951(昭和26)年に本堂は焼失、元禄年間(1688~1704)建造の茅葺き屋根の山門と鐘楼のみが残りました。本堂は1960(昭和35)年に再建されました。
 境内には見学施設として、玉縄歴史館(旧民俗資料館)・石井家住宅があります。

萱葺きの山門

 立派な分厚い萱葺きの山門は元禄時代に建造されたもので、龍寶寺に残る江戸時代の貴重な建物です。山号の陽谷山の額がかかり、右手に大きな寺号を示す石柱、左手には禅寺でよく見かける「禁葷酒」(欲望を刺激するニンニクや酒の持ち込みを禁ずる)の石標があります。
 山門を入ると、右手に玉縄歴史館、左手にたまなわ幼稚園の園舎があり、ひろびろとした境内に進みます。

山門
山門左
玉縄歴史館

 玉縄歴史館は、もと玉縄民俗資料館・ふるさと館といっていましたが、2020年に全面的にリニューアルしました。玉縄城と玉縄北条氏に関する歴史資料と、旧玉縄村の民俗資料が集められており、見るべきものがあります。隣の石井家住宅とともに、帰りに是非ごらんください。

シャクナゲの花園

 庭園は大変よく手入れされており、何と言っても4~5月のシャクナゲが見事です。

2023/5/4

龍寶寺本堂

 本堂には本尊釈迦如来像の他に、玉縄城歴代城主の北条綱成、氏繁、氏勝の位牌、源実朝の位牌が祀られています。また曹洞宗副貫首書の寺号額があり、鴨居の上に信者の方が奉納した五百羅漢が並んでいます。

龍寶寺本堂
五百羅漢

本堂は一般には公開していませんが、年金者組合鎌倉支部健康ウォーク「史跡と花めぐり」で特別に拝観させていただきました。(2018/7/25)

境内のあちこち

 広々とした境内には玉縄歴史館、石井家住宅などの他にも、道祖神、庚申塔、馬頭観音などの石塔群、玉縄北条氏供養塔など、新井白石の石碑など、いろいろな歴史文化資料が点在しています。季節の花だけでなく、目を配っていきましょう。

玉縄北条氏供養塔 龍寶寺四世住職が北条綱成・氏繁・氏勝三代の供養のために造った小さな石塔です。現在は本堂の左手に置かれていますが、かつて今の栄光学園が造成される前の山道に置かれ、いつも村人に倒されてしまうので、「ぶっけり仏」と呼ばれていたそうです。玉縄城築城500年(2012年)を記念して参拝しやすいこの地に遷しました。

新井白石の碑 新井白石はくせき(1657~1752)は江戸中期の著名な学者、政治家で、甲府藩主徳川家宣の侍講(家庭教師)でしたが、家宣が六代将軍となったため幕政に参画し、正徳の治と言われる改革を行いました。その碑がなぜ龍寶寺にあるかというと、幕府からこの近辺の植木と城廻に200石ほどの領地を与えられていたことによります。

 新井白石は学者としては『藩翰譜』『読史余論』などの他、鎖国下の日本にやってきて捕らえられたイタリア人宣教師シドッチを尋問し、世界情勢を知り、『西洋紀聞』を書きました。江戸時代で最も外国通だったとされています。その自伝の『折たく柴の記』もよく読まれています。碑文は漢学者のむろ鳩巣きゅうそうの撰ですが、残念なことに摩滅してほとんど読めません。かつては駐車場の後のやぐらの中に、ひっそりと立っていました。

石井家住宅 石井家は後北条時代の地侍じざむらいから続く旧家で、近世ではこの地の名主を務めていました。もと、鎌倉市関谷せきやにありましたが、老朽化したため龍寶寺境内に移築し、保存を図っています。

 石井家住宅は近世神奈川に多い、「三間取り四方下家しもや造り」の農家の典型で、ほぼ17世紀の後半(元禄ごろ)の建築と思われます。平面は「ひろま」の奥に「でい」と「へや」が配される三間取りで、広い土間を持っています。昭和44年に国の重要文化財に指定されました。

龍寶寺 ところどころ

参考 米軍捕虜収容所

米軍捕虜供養の卒塔婆

 あまり知られていませんが、龍寶寺の山門前一帯の現在の住宅地は、太平洋戦争中にアメリカ兵捕虜の収容所でした。現在はまったくその跡を留めていません。戦争が終わって解放された米兵は大船から電車に乗って帰って行ったそうです。このあたりの戦争中のことを知るお年寄りは、米兵捕虜ともわずかながら交流があったことを憶えているそうです。
 龍寶寺には収容所で亡くなった米兵の供養の卒塔婆があります。新井白石の石碑の左の細い山道を上がっていくと、その奥には江戸時代の古い墓地がありますが、その途中に気をつけていくと、右手に小さな木製の札が立っています。この写真がそれですが、文字は「大施餓鬼会為当山門前捕虜収容所物故者諸精霊供養塔」と読めます。今も、この捕虜収容所で亡くなった米兵の供養を続けているのです。

 お食事・休憩のおすすめ

 蕎麦 ふる川 
 龍寶寺を出て、左すぐのところにあるそば処。付近には食事できる適当な店がないので、助かる。てごろな値段で蕎麦を頂ける。
 ビールを「ゆきとら」をつまみに飲み、せいろ蕎麦を食す。たしか2000円ぐらいでまにあった。店はこじんまりしていて清潔。
 「ゆきとら」って知ってますか。江戸では昔から知られていた料理らしいですよ。
 Facebook  蕎麦ふる川
 Tel 0467-84-7950  ※火曜日定休

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