八雲神社(西御門)

2023/7/8

八雲神社(西御門)

 鎌倉・西御門の鎮守で、祭神は素戔嗚尊。建立時期は不明ですが、もとは天王社といい、現在の社殿は天保3(1832)年の建造だそうです。八雲神社で見落とせないのは、境内にある三基の庚申塔です。

ミニガイド

  • 祭神 素戔嗚尊
  • 勧請年 不明
  • もとは天王社という
  • 西御門の鎮守、村社
  • 社屋 天保3(1832)年建造
  • 所在地 西御門1丁目13-1
八雲神社(西御門)2013/9/23

庚申信仰

 こじんまりした神社ですが、境内にはみごとな庚申塔こうしんとうが建っています。鳥居をくぐった右側に三基の石造物が並んでいますが、いずれも江戸時代に作られた庚申塔です。特にまん中の庚申塔は延宝8年(1680)の銘があり、江戸初期の大変貴重で造りのよい庚申塔で鎌倉市指定文化財とされています。

八雲神社(西御門)庚申塔

庚申信仰とは
 庚申塔とは、江戸時代に庶民の間で流行した庚申信仰によって行われていた庚申講の記念として、盛んに作られた石造物です。
 庚申信仰とは、60日ごとに廻ってくる庚申(十干十二支でかのえさるの日)の夜は寝ている間に体内の三尸さんしの虫が身体を抜け出し、その人の悪行を天帝に告げるため、本来もつ120歳の寿命が縮んでいくという民間信仰です。元は中国の道教の教えだったものが仏教に入ったと考えられています。日本では室町時代から、村の人たちが集まって寝ずに夜を明かすという風習(日待、月待)が広がり、それを庚申講こうしんこうといいます。
 中世から近世の農村の、数少ないリクリエーションとなっていました。昭和の初期まで、どの農村でも行われていたようですが、戦後はほとんど行われなくなりました。鎌倉の各所には、この庚申塔が残されており、江戸時代には静かな農村であった鎌倉の様子をうかがうことができます。

八雲神社の庚申塔

 庚申塔にはさまざまな形がありますが、八雲神社の庚申塔はいずれも典型的な青面金剛像と三猿が描かれています。左と真ん中は舟形で、右のものは笠付き卒塔婆そとうば型です。いずれも庚申塔としての決まりに沿ったものですが、ここでは中央の延宝8年銘の最も大きな庚申塔の図解してみましょう。

八雲神社(西御門)延宝8年銘庚申塔

 庚申講を終えた村人が記念に建てたのが庚申塔です。全国各地に見られますが、特に江戸時代の寛文年間(1660年代)から青面金剛しょうめんこんごう像を本尊にした庚申塔が流行しました。
青面金剛 元は真言密教系の荒ぶる神で「庚申→こうしん→荒神」の連想から主神とされたようです。六臂ろっぴ(手)が普通ですが、四臂しひのこともあります。持ち物はさまざまですが、通常、三(または独鈷)、弓、矢などの武器、金剛しょ羂索けんじゃく、時に罪人を首からぶら下げ、邪鬼じゃきを踏んでいます。ここでは四臂(手が四本)でいずれも武器を持ち、邪鬼を踏まえています。
三猿 また下部に三猿を彫るのが通例ですがこれは庚申のさると、禍を「去る」とをかけているようです。通常、いわゆる「見ざる聞かざる言わざる」の三猿を正面に浮き彫りしますが、正面と左右の三面に一匹ずつ彫る場合もあります。
舟形庚申塔 庚申塔には、舟型、板碑型、角型、笠塔婆型などがありますが、江戸時代も後半になると単なる角柱に庚申塔と文字だけを彫るものが多くなります。西御門・八雲神社の庚申塔は、典型的な青面金剛・三猿その他が描かれた舟形庚申塔で、しかも延宝8年(1680)という江戸初期のものとして大変に貴重です。

八雲神社(西御門)延宝8年銘庚申塔
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