来迎寺(西御門)

来迎寺(西御門)如意輪観音

来迎寺のあらまし

来迎寺本堂

時宗の寺院

 かつて幕府が置かれた大倉の地の北方の西御門にある来迎寺らいこうじは、鎌倉でも数少ない、時宗じしゅうの寺院です。その創建の事情や由来など、詳しいことは判っていませんが、その場所柄、頼朝の墓所であった法華堂や、尼寺だった水平寺、さらに北方にあった禅寺の報恩寺という三つの廃寺の仏像などを引き継いでいる、貴重な寺院です。
※鎌倉には「来迎寺」は二つあります。ひとつがこの西御門の来迎寺。もう一つは材木座の来迎寺です。いずれも時宗の寺院ですが、所在地の違いに注意しましょう。

  • 宗派 時宗 藤沢清浄光寺の末寺
  • 山号 満光山
  • 本尊 阿弥陀如来像
  • 開山 一遍智真
  • 鎌倉三十三観音霊場第五番札所

〒248-0004 神奈川県鎌倉市西御門1丁目11−1  0467-24-3476
WEB SITE n-raikouji.jp
拝観は完全予約制 定員12名 拝観料 500円 ※事前に電話で申し込むこと(雨天は不可)

来迎寺へのアプローチ

来迎寺標識 ここを右に入る
正面階段が来迎寺 左手に八雲神社と太平寺跡碑
来迎寺門

境内の花

頼朝法華堂の遺品を引き継ぐ

 来迎寺の本堂前の片隅に、小さな手水鉢が置かれています。よく見ると、そこには「奉寄進・法華堂・御寶前」という文字が認められます。
 これは、江戸時代まで、現在の源頼朝の墓所にあった「法華堂」に置かれていたものです。法華堂は明治維新の廃仏毀釈によって廃寺となってしまし、そこにあった仏像の多くは近くのこの来校に実されたのです。そのとき、この手水鉢もここに移されたのでしょう。
 小さな手水鉢ですが、この寺と、鎌倉の仏教の歴史を物語る貴重な遺品です。

「法華堂」の文字のある手水鉢

来迎寺の仏様

 満光山来迎寺は、鎌倉には数の少ない時宗の寺で、本山は藤澤の遊行寺ゆぎょうじ(正式には清浄光寺しょうじょうこうじ)です。開山は時宗の開祖一遍上人とされていますが、時期や事情はよくわかっていません。
 来迎寺は小さなお寺ですが、なんと言っても素晴らしい仏像にであうことのできるお寺です。事前に申し込んでご本堂に上がることができれば、中央に本尊の阿弥陀如来像、左(向かって右)に如意輪にょいりん観音像、右(向かって左)に地蔵菩薩像、さらにその右に抜陀婆羅ばっだらば尊者像が並ぶ偉容を拝観することができます。
 実は、本尊以外の三体の木像はいずれも源頼朝の持仏堂であった法華堂(現在の頼朝の墓の所に在った)が、明治の神仏分離令で廃寺となってしまったとき、この来迎寺に遷された仏様なのです。
 法華堂から移された仏像のうち、地蔵菩薩像と抜陀婆羅尊者像は来迎寺と同じ谷戸にあった報恩寺(現在の鎌倉市立第二中学校の校地)というやはり廃寺となった禅寺から移されたものでした。
 これらの仏様はいずれも鎌倉期から室町期の鎌倉の仏教文化の水準を伝える貴重な遺品であり、来迎寺に収容されたことで今に伝えられたのでした。

如意輪観音像

西御門・来迎寺 如意輪観音像

如意輪観音半跏思惟像(県重文)
 六臂ろっぴ(六本の手)には、それぞれ六道ろくどう(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)にいる人々を救済するための持物を持っています(左図参照)。
 如意輪とは、あらゆる人々の願いを満たす如意宝珠と、あらゆる人々を救済する法輪を持つ観音菩薩という意味です。
 来迎寺の如意輪観音像は南北朝時代の木造で、豊かな体躯と繊細な表現、特徴的な土紋どもんが見られます。

 この仏像は、もとは頼朝の墓所に作られた法華堂にあったもので、伝承では北条政子の持仏であったと言います。実際には南北朝時代の作ですので政子の持仏とはいえませんが、そのふくよかなお姿はそれが真実のように思わせる力を持っており、鎌倉でも人気の高い仏様の一つです。

土紋装飾 土紋どもんとは鎌倉の仏像彫刻の特徴で、練った土を型におして盛りつけ、彩色して衣の模様などを表現する技法です。
※土紋装飾はこの来迎寺如意輪観音以外に次の例で見ることができます。
 ・覚園寺 阿弥陀如来坐像(鞘阿弥陀)
 ・浄光明寺 阿弥陀如来坐像
 ・浄智寺 韋駄天立像(現在は鎌倉国宝館に寄託)
 ・東慶寺 聖観音立像(松岡宝蔵に安置)

報恩寺からの客仏

地蔵菩薩像(県重文)
 鎌倉時代の高僧として知られる義堂周信が開山となった報恩寺の本尊でした。胎内から見つかった銘文によって永徳4(1384)年の宅間浄宏の作とわかりました。宅間浄宏は、鎌倉の宅間が谷(報国寺のある谷戸)に住んでいた仏師の一人です。
 報恩寺が廃寺とり、太平寺、さらに法華堂を経て本寺に移されました。これも鎌倉の仏像の特徴の法衣垂下が見られます。

抜陀婆羅尊者像(市重文)
 抜陀婆羅ばっだらば尊者は水に因って悟りを開いたと伝えられるので、禅宗寺院では浴室に据えられていました。来迎寺は禅宗寺院ではありませんから、やはりこの像もここにあったものではなく、地蔵菩薩像と同じく報恩寺にあったものです。
 しかし抜陀婆羅尊者として伝えられる像は、この像しか他に例がなく、貴重な仏像です。近世になると建長寺広徳庵の自休という僧が似ていたので「自休さま」と言われ、本来の役割は忘れられて足腰の痛みに効験があると信じられるようになりました。
 この像も報恩寺から法華堂を経てこの寺に移ってきたものです。

廃寺・報恩寺

 報恩寺とは、正式には南陽山報恩護国禅寺といいました。開山は義堂周信、開基は関東管領上杉能憲とされています。来迎寺の北西、現在の鎌倉市立第二中学校のところに室町時代の1371(応安4)年に創建された禅宗寺院でした。
 義堂周信
 開山の義堂ぎどう周信しゅうしん(1325~1388)は室町時代の五山文学を代表する禅僧で高校の日本史教科書にも出てくる重要人物です。有名な夢窓疎石の弟子で、号を空華といい、1359年に足利基氏(尊氏の子で初代鎌倉公方)に招かれて鎌倉に来て報恩寺を創建し、しばらくとどまりましたが、79年に足利義満の招きで京に戻り、建仁寺・南禅寺の住持となった人です。
 報恩寺はいつのころか廃寺となってしまい、その仏像は頼朝墓所にあった法華堂に移されましたが、法華堂も廃仏毀釈で廃寺となったため、この来迎寺に移されたのでした。
 報恩寺のあったところは、現在の鎌倉二中の敷地であり、禅宗寺院であった名残はありませんが、周辺の山と森は残されており、山歩きのできるコースになっています。

廃寺・太平寺

尼五山第一位だった太平寺跡
 来迎寺のすぐ左手が八雲神社です。来迎寺と八雲神社の間に「太平寺跡」の建っています。来迎寺の裏手の現在テニスコートとなっているあたりに、かつて太平寺というお寺があったのです。
 「太平寺跡碑」によると源頼朝が池禅尼の旧恩に報いるために、その姪女の願いをかなえ尼寺をここに建てた」と言っています。とすれば幕府草創期に遡る重要な寺院ということになります。
 確証はありませんが、創建は正応2(1289)年ごろでとされており、尼寺でした。鎌倉には尼五山といわれた尼寺があり、太平寺はその第一位とされた大寺院であったようです。
 鎌倉尼五山とは、太平寺・東慶寺・国恩寺・護法寺・禅明寺ですが、その中で現存するのは東慶寺だけで、それ以外はいずれも廃絶してしまいました。
 太平寺は戦国時代に小田原の北条氏と房総の里見氏の争いに巻き込まれて、焼亡してしまいましたが、その本堂が円覚寺に移築され、舎利殿とされているのです。

太平寺碑

円覚寺舎利殿はもと太平寺の仏殿だった
 戦国時代の小田原北条氏と房総の里見氏の争いの時、太平寺はその争いに巻き込まれ火災に遭いました。その仏殿だけは残りましたが、寺は廃絶となり取り壊されることとなりました。ところがそのころ、ちょうど鎌倉の円覚寺も火災で諸堂を失っていたので、北條氏康は太平寺仏殿を円覚寺に移しました。それが円覚寺開山堂の昭堂(礼拝堂)、つまり現在の舎利殿と言われる建物なのです。
 円覚寺舎利殿は鎌倉期の禅宗様建築として国宝に指定されていますが、実はもともと円覚寺で建てられたものではなく、太平寺の仏殿が移築されたものだったのです。そして、現在の研究ではその建造物は鎌倉時代まで遡ることはなく、南北朝期のものと判ってきました。舎利殿はそのように意外な経歴のある建物で、元々この西御門の太平寺にあったことを思えば、不思議な感じがします。

Episode 太平寺焼亡のドラマ
 戦国時代の弘治2(1556)年、小田原北条氏に対抗していた安房の里見義弘が鎌倉に攻め込みました。そのとき、里見義弘は太平寺に乱入し、尼であった青丘尼せいきゅうにを連れ去り、還俗させて妻とするという事件が起きました。激怒した北条氏康が太平寺を廃寺にしてしまったといいます。
 いかに戦国時代と言ってもこんなことが許されるはずはありません。二人の間には何があったのでしょうか。実は二人は幼なじみで、将来を誓い合った仲だったのでした。青丘尼はある事情から鎌倉・太平寺に入り、尼となっていたのでした。
 太平寺の本尊の聖観音菩薩像も青丘尼とともに里見義弘によって持ち去られました。それは後に東慶寺の要山尼が取り返し、現在は東慶寺の松岡宝蔵に据えられています。
 戦国時代の鎌倉のドラマチックな歴史の舞台となったのが太平寺でした。しかし、太平寺が廃寺になってしまったために、このドラマも忘れ去られてしまいました。

太平寺滅亡: 鎌倉尼五山秘話 (有隣新書 15)
有隣堂
三山進。鎌倉仏像彫刻の第一人者、三山進氏が、太平寺滅亡の謎に取り組んだ著作。はじめて里見義弘と青丘尼の関係、そして太平寺滅亡の事情を明らかにした。1971年、有隣新書。
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