妙隆寺

妙隆寺

 小町大路に面した小さな日蓮宗のお寺ですが、七福神の中の寿老人が祀られているところから、正月には参詣の人の多いところです。それだけでなく、日蓮宗で重要な人物である俗称「鍋かむり日親」が修行をした寺、広島で被爆して亡くなった新劇俳優丸山定夫の墓があるなど、素通りできないところです。

妙隆寺山門

データ

  • 日蓮宗 元は市川の中山法華経寺の末寺
  • 山号 叡昌山  
  • 本尊 日蓮上人像
  • 開山 日英 
  • 二世 鍋被り上人日親
  • 開基 千葉大隅守胤貞
  • 創建 至徳2(1385)年
  • 寿老人は鎌倉江の島七福神の一つ

 〒248-0006 鎌倉市小町2-17-20 Tel.0467-23-3195  拝観自由

ミニガイド

 人物 鍋被り日親

 住宅に囲まれた小さなお寺ですが、二世の日親は「鍋かむり上人」として知られています。日親は21歳の応永34(1427)年冬、「行の池」で百日の水行を行い、さらに生爪を剥がし、木綿針を指先に刺して流した血で曼荼羅を描いたといいます。「爪切の曼荼羅」といわれましたが今はないそうですが、行の池は本堂の前に今も残っています。

 日親は法華経を信じない者からの布施は受けないという態度を貫きました。永享11(1439)年、京に上り、室町幕府の将軍足利義教に対して『立正治国論』を提出して諫言(将軍を諫める提言)を行ったために迫害され、頭に焼けた鍋を被せられ、舌を切られました。それでも自説を曲げず、なべかむり日親と言われるようになりました。

 七福神 寿老人

 鎌倉・江ノ島七福神の中の寿老人が祀られています。本堂の右手、行の池の隣です。

 人物 丸山定夫

 右手の墓地の一角に、戦前の新劇俳優丸山定夫(1901~1945)の墓があります。築地小劇場で活躍した日本の新劇運動の指導者の一人です。1945年8月6日、慰問のための移動演劇桜隊の隊長として広島を訪問中に被爆し、16日に亡くなりました。
 その墓は長く知られていませんでしたが、ようやく見つけ出され、1666年、友人たちによってこの地に立派な石碑が建てられました。レリーフは当たり役モリエール『守銭奴』の主人公アルパゴンに扮したものです。

 スイフヨウ

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