一遍ゆかりの花の寺
一遍は、各地で踊り念仏を興行しながら、いよいよ鎌倉入りをはたそうと、この山ノ内までやってきました。1282(弘安5)年3月1日のことです。しかし鎌倉幕府執権北条時宗は、一遍の鎌倉入りを許しませんでした。そのときの様子は『一遍聖絵』に描かれています。元寇後の不穏な時期に、民衆が新しい仏教に惑わされることを恐れたのでした。
やむなく一遍は、この地で念仏踊り行い、近在の農民も集まって見物しました。その夜は近くの庵に一泊し、その庵跡に建てられたのが、この光照寺です。いまも一遍のひらいた時宗のお寺であり、藤沢の清浄光寺(遊行寺)の末寺です。
データ
- 宗派 時宗 清浄光寺の末寺
- 山号 西台山
- 院号 英月院
- 開基 一向俊聖
- 開基 不明
- 本尊 阿弥陀如来像
〒247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内827 0467-46-6355
拝観料 なし
境内のご案内
一遍自身は寺や宗派を創建する考えはなかったのですが、後にその宗派が時宗といわれるようになると、その法難霊場として光照寺が作られたようです。開基とされる一向俊聖は、浄土宗の光明寺開山良忠上人の弟子の僧侶で念仏を唱えたと思われますが、一遍との関係は判っていません。
やがて藤沢の本山清浄光寺の末寺の時宗の寺院となって江戸時代にいたり、近くの台村にあった臨済宗の東渓院が廃仏毀釈で廃寺となったときに、その本尊釈迦如来坐像が客仏として本寺に納められました。そのとき、江戸中期に作られた山門も東渓院から移築されました。
クルスの紋 隠れキリシタンの里
山門をくぐるとき、注意して頭上の欄干を見て下さい。そこに寺紋が掲げられていますが、十字の印がみてとれます。このことから、いつしか光照寺は隠れキリシタンの寺だ、といわれるようになりました。
この伝承は、かなり真実味があります。このあたりに近い小袋谷の里には、江戸時代に隠れキリシタンが暮らしていたことは事実でした。1623年に小袋谷村のヒラリオ孫左右衛門とその妻は、スペイン人宣教師ガルベス神父らと共に品川で火祭りの刑に処せられています。このときのガルベスと孫左衛門の殉教は、鎌倉の若宮大路にあるカトリック教会の絵として伝えられています。
その後、小袋谷村の信者は隠れキリシタンになったらしく、彼らは光照寺の檀徒となりながら、密かに信仰を続け、住職も彼らを救ったと言われています。今も本堂にある二基の青銅製燭台はそれとわからぬように十字架をかたどって作られているそうです。
ただし、一見したところ、キリシタンとわかるような物ではありません。すると、山門のクルスの紋は何か、というと、実は東渓院のものだった門についていたもので、東渓院の檀那であった豊後岡藩大名の中川清秀の「中川久留子」という家紋なのです。中川家自身はキリシタンではないので、この寺紋が隠れキリシタンの寺であうこととは直接関係はありません。
子育て地蔵・おしゃぶき・板碑
山門の右手前には「子育て地蔵尊」、入ってすぐ左手には「おしゃぶき」の祠があります。「おしゃぶき」とは、咳を止めてくれる神様として、子育て地蔵とともに庶民の信仰を集めています。隠れキリシタンの寺であると共に、小袋谷や山ノ内の庶民の信仰の対象だったのでしょう。
また、寺務所の前の植え込みに、小さな板碑があります。ぜひ見落とさないようにして下さい。この板碑は、鎌倉時代末期の1325(正中2)年の年号があり、鎌倉ではめずらしい安山岩製のもので、大変貴重な文化財なのです。
ご本堂
- 本尊 時宗のお寺で阿弥陀様をご本尊としています。ご本尊の阿弥陀如来と観音菩薩・勢至菩薩の両脇侍は、ともに1429(永享元)年以前の作で鎌倉市の市指定文化財となっています。
- 釈迦如来像 臨済宗の寺院だった東渓院からこちらに遷された客仏です。室町期の作で、像高34.6cmの寄木造。良く整った姿をしておられます。
花の小径
本堂の左脇から裏手の墓地にかけて、「花の小径」として季節の花が迎えてくれます。とくに2月の梅、4月~5月のしゃくなげは見事です。また墓地の垣根のときわまんさくが花咲く4月ころ、光照寺を訪れる人の目を慰めてくれるでしょう。
光明寺の切り通し
光照寺前の道は、鎌倉時代に一遍が通った道。昭和までは、風情のある切通になっており、山ノ内・小袋谷から台・山崎を抜けて、藤沢・江ノ島に向かう、重要な通路でした。(参考 → 遊行寺)
後の山は台山と言いますが、戦争中に横須賀軍港で任務に就く海軍の将校用の住宅が造られ、海軍山といわれるようになりました。サイパンで自決した南雲中将の家などもありました。
その海軍住宅地に上がるために、この切通も崩され、道がひろげられました。それでも坂には昔の面影は少し残っているようです。また途中から右手に上がる細い階段があり、そこを登って行くと、光照寺の墓地の上に出ます。そこからは光照寺の屋根とその向こうの八雲神社、円覚寺塔頭の雲頂庵とその裏山の六国見山につながる尾根が手に取るように見えます。