華頂宮(旧)邸

2023年11月29日

 鎌倉には戦前の別荘建築が多く残されています。特に旧華族や政治家、財閥、文豪などが残した別荘は、その豪華さと共に当時の建築水準を示す、貴重な文化財と言えます。鎌倉の洋館建築としては、旧前田家別荘(現在の鎌倉文学館)と並んで規模が大きく、よく保存されているのが旧華頂宮邸です。

  • 旧華頂宮邸へは、鎌倉駅前から京急バス(5番乗場)で約10分、浄明寺バス停で下車し、華の橋を渡って進みます。
  • 住宅街を進み、右手の報国寺の山門前をさらにまっすぐ進むと左手に門が見えてきます。
  • 旧華頂宮邸は鎌倉市が管理しており、入場料は無料です。ただし、建物は公開されておらず、外観を眺め、そのまま裏に回ると、広い庭園があります。

建物内部は、年に数回、特別公開の時期に入ることができます。日程は鎌倉市のホームページをご覧ください。
要注意! 月曜・火曜は庭園も非公開となります(祭日の場合は公開し、翌日が休み)。

残念、休園日でした。庭園にも入れませんでした。

建築年:昭和4(1929)年 構造:木造3階建て 洋小屋組 屋根:銅板葺き
 現在は国登録有形文化財・鎌倉市景観重要建築物に指定されています。
華頂宮とは:この建物を建てたのは華頂博信氏で、彼は侯爵であったが宮家ではありません。華頂宮は伏見宮家から分かれた皇族でしたが、大正13年に4代目の博忠(博信の兄)が逝去したとき臣籍降下して、宮家ではなくなって華族となり、姓を華頂と称したのです。
鎌倉市の所有に:華頂博信氏は海軍軍人でしたが、昭和15年にこの邸宅の所有者が永田氏にかわり、戦後は一時期アメリカ軍に接収され、その後民間人の手を何代か経て平成8(1996)年に鎌倉市の所有となりました。

チューダー・リヴァイバル風建築 建物は、装飾的なハーフティンバー(注)、交差する破風や屋根窓をつけた急勾配の屋根、華やかな破風飾りなどを特徴とするテューダー・リヴァイバル風の様式です。
鎌倉三大洋館の一つ 鎌倉文学館(旧前田侯爵邸)・古我邸(旧荘清次郎邸)と並んで鎌倉の「三大洋館」の一つとされている。旧前田邸よりもより繊細で端整なスタイルであり、正面の庭園と共にすばらしい戦前の洋風建造物である。 

(注)ハーフティンバー 建物の外観の様式で、柱や梁を露出させ、間の壁面を漆喰や煉瓦で埋めるスタイル。15~17世紀のヨーロッパ建築によく見られる。鎌倉では他に旧前田家別荘(現在の鎌倉文学館)などの別荘建築に用いられている。

奥が茶室。谷戸の奥は衣張山に登る道がある。

フランス式庭園 主屋の背後に広がる整然としたフランス式庭園は、大正・昭和期の代表的な造園家・造園学者であった上原敬二(1889~1981)の設計、施工によるものです。
茶室 庭園の奥にある茶室は、1971年に東京上大崎の松崎邸の建物を移築し、1977年に造築したものです。移築前の建物の創建年は不明であるが、1936年頃と考えられています。一般公開はされていません。

2023/11/29

おそらくは邸宅の建設以前のこのあたりの宅間が谷に残る「やぐら」でしょう。

2023年11月29日

 華頂宮邸の前の道は、江戸時代には板東33観音の一番札所杉本寺から、二番札所逗子の岩殿寺にむかう巡礼道でした。また鎌倉時代から室町時代には宅間法眼という仏師の一族が住んでいたと言われています。現在では静かな谷戸の住宅地として残っており、鎌倉らしい雰囲気が感じられます。

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