収玄寺

小さな花の寺 収玄寺

 江ノ電長谷駅を出て、踏切を左に見て右に曲がり大仏様に向かいます。左側を少し進むと黒い門の小さな寺、収玄寺があります。収玄寺は、山号を四条山といい、日蓮の門弟の四条頼基の屋敷跡に建てられた、日蓮宗の寺院です。もとは収玄庵といわれる小さなお寺でした。いまもごく小さなお寺ですので、見過ごさないようにしましょう。
 境内は自由に参観できます。

収玄寺データ

  • 宗派:日蓮宗
  • 山号 四条山
  • 開基:四条金吾頼基
  • 創建:文政年間(1818~30)
  • メモ:日蓮の龍口法難の後に、信者の四条金吾頼基が自分の屋敷跡に庵を設け収玄庵と称した。大正の初期に本堂を改築し、寺号も改めた。

 鎌倉市長谷2-15-12 電話0467-25-3283
 交通 江ノ電長谷駅下車 3分  拝観 支納 

境内

 立派な門は「冠木門」という形式。境内はごく狭いですが、本堂の全面にはいつも何かの花が咲いています。参拝を済ませたら、本堂の周りをぐるりと回ってみましょう。そこにも季節の花をみることができます。境内には「蕪」という小さな茶房があります。
 収玄寺は小さなお寺ですが、鎌倉時代に四条頼基という武士の邸宅があったところで、史跡として重要です。四条頼基は早い時期に日蓮に帰依した武士であったことからこの地に「収玄庵」という小さな庵をつくり、それが後に日蓮宗の寺院となりました。近くの光則寺とともに日蓮宗にとって重要な寺院です。 

収玄寺
  • 四条金吾という人 四条頼基(1229~1296)は官職名が左衛門尉であったので、その唐名である「金吾」と呼ばれていました。四条金吾は北条氏の一門江間氏の被官(家臣)で、武士ながら日蓮の信者となりましたが、出家はせず、在俗の有力信者として日蓮を助けました。日蓮は彼を厚く信頼しており、「四条金吾殿」に宛てた手紙が多数残されています。日蓮の龍口法難の時は殉死を覚悟したほどでした。
  • 東郷平八郎揮毫の巨大な石碑 境内には明治の海軍元帥東郷平八郎の揮毫した巨大な「四条金吾邸跡」の碑が目立ちますが、これは東郷が日蓮宗の信者であったことから、建てられたものです。

ミニガイド

本堂を囲む花たち 本堂と庫裡だけの小さなお寺ですが、境内には見事な花を見ることができます。本堂のまわりはぐるりと廻ることができ、足もとに季節の花々がひっそりと咲いており、心が和みます。

参考

コミック四条金吾(1) (DBコミックス)
第三文明社
コミック版四条金吾伝。全5巻。日蓮に帰依して信仰を貫いた鎌倉武士・四条金吾の生き方を描く歴史ドラマ。武芸に優れ、医術も心得る純真一徹な頼基は、雨宿りをしようとした時、地蔵の前で餓死した母子を見つける。仏がその母子を救わなかったことを深く嘆く頼基だったが……!?
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