長谷寺

長谷観音

 長谷観音として知られる巨大な木造の仏像と数々の文化財を伝えるミュージアム、さらに最近ではアジサイをはじめとする花の寺として人気が高く、多くの参拝客が集まります。鎌倉を代表する観光スポットでもありますが、長谷の海近く、開放感にあふれた長谷寺を訪ねましょう。

長谷寺の案内

  • 山号・寺号 海光山慈照院長谷寺
  • 宗旨 浄土宗(独立した宗教法人)
  • 創建 天平8(736)年
  • 開山 徳道上人 開基 藤原房前
  • 本尊 十一面観音立像(長谷観音)
  • 板東三十三観音第四番札所
長谷寺山門

 〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷3丁目11−2 0467-22-6300
 web hasedera.jp
 拝観料 大人400円 子供200円 ※鎌倉市福寿手帳持参で200円
 交通 JR鎌倉駅から江ノ電ではせ下車 徒歩約10分程度
    または鎌倉駅前から京急バス 藤沢行き長谷観音下車 約5分

外国人観光客の団体バス(コロナ前の2018/3/30)

境内の案内

2023/7/19

 長谷寺は背後に山が迫り、ご本堂など主なお堂は正面から階段を上っていきます。
 階段の途中には、季節によってさまざまな花が咲いています。ゆっくり花と緑を楽しみながら進んでください。
 あがりきったら、まずはご本堂の長谷観音を拝観しましょう。そのあと、ゆっくりと背後の巡回路(6月のアジサイの時期はたいへんにこみあいます)を巡り、降りてきたら食事処海光庵で一休み。そのあとに境内各所を回りましょう。

本尊十一面観音

 鎌倉大仏と共に昔から「長谷観音」として親しまれているのが長谷寺の十一面観音です。大仏が金銅の阿弥陀仏であるのに対して、こちらは木造の観音様、共に鎌倉の西にあって、いわば極楽浄土へ人びとを誘う仏様として共に信仰されたのではないでしょうか。

 総高9.18m、寄木造で全身に金箔が施されています。正確な造立年代は判っていませんが、室町時代に作られ江戸時代に修復されたようです。
 観音とは観世音かんぜおん菩薩のことで、如来にょらいが完全に悟りをひらいて仏と成り、来世で人々を導くのに対し、菩薩ぼさつは未だ修行中であるけれど、やがて如来になることが約束されている方で現世において衆生を導き、衆生の願い事(音)を聞きとどける(観)ことのできる仏様とされています。
 

 観音像が巨大なのは、権威を示すのではなく、その救済があらゆる人に及ぶという大きさを示しているのです。日本で最大級の木造の仏像をじっくりと参拝してください。ただし仏様は撮影禁止です。十一面観音については後に説明します。

相模湾の眺望

 ご本堂の左隣には観音ミュージアムがあります。小さいですが充実した展示で、十一面観音の解説のほか、長谷寺に伝わる数々の文化財が展示されていますので、じっくり鑑賞してください。
 ご本堂前の広々とした平場には休憩用のベンチがあり、海側には素晴らしい眺望のできる展望台があります。

春の長谷観音 2018/3/30
2023/1/25 相模湾と鎌倉の町

厄除阿弥陀堂

厄除阿弥陀堂

 像高280cmの丈六仏で、源頼朝が42才の厄除けのために造立したとされていますが、実際には誓願寺という廃寺の本尊だったもので、年代は不明です。
 脇侍の如意輪観音像は現代の仏師大森昭夫さんの手によってが、2017年5月12日に開眼供養が行われました

かきがら稲荷

 この稲荷はかきがら稲荷といわれ、皆さんはかきがらに願い事を書いて奉納しています。
 それは、長谷寺のご本尊の十一面観音像が三浦に流れ着いたとき、びっしりとかきの貝殻がついていたので、その貝殻に願をかけることが始まったそうです。
 今も奉納されたかきがらが並んでいます。左手奥には五輪塔が並んでいます。

貝殻稲荷

弁天窟と書院

 ご本堂のある段から下におりると池があり、その左手に大黒堂や弁天窟、書院(写経会場)などがあります。弁天窟は洞窟の中を一回りできます。

散策路

ところどころ

長谷寺の花

2017/1/25

2023/7/19

観音ミュージアム

 長谷寺の伝承では、このお寺は奈良時代の天平8年に創建されたとされていますが、創建当時の記録は失われ、実際の過程には不明な点が多く、よくわからないようです。本尊の巨大な十一面観音像は奈良の長谷寺の十一面観音と同じ木から作った同体であり、難波から関東の三浦まで流され、この地に運ばれたもので、その地にお寺が作られ、こちらは新長谷寺と称した、とされてています。
 最古の資料として文永元(1264)年銘を持つ銅造梵鐘が遺されており、鎌倉中期にはその存在がはっきりしています。その後はさまざまな変転があったらしく、豊臣秀吉や徳川家康の庇護もあって鎌倉の大寺院として発展し、板東三十三観音の第四番札所として庶民の篤い信仰を受けて現在にいたっています。
 それでは、2015年に開設された長谷寺付設の『観音ミュージアム』を訪ねて、長谷寺の歴史を調べてみましょう。

長谷寺縁起

 寺伝では奈良時代に徳道上人が大和国長谷の山林で良い香りがし、光を発する楠の大木を見いだして二体の観音像を造りました。そのうちの一体を本尊として大和国桜井に長谷寺を創建し、他の一体をどこか有縁の地で衆生済度しますように、と願って海に投じました。天平8年6月18日の夜、三浦郡長井浦で海中に光明を放つものがあるので浦人が引き揚げたのがこの尊像でした。このとき本尊についていた「かきがら」を収めたのが鐘楼の右奥にある「かきがら稲荷」だといいます。
 そこであらためて徳道上人を開山、藤原房前(ふささき)を開基として新長谷寺をこの地に開いたということです。『長谷寺縁起絵巻』(神奈川県指定文化財)は、大和の長谷寺創建の縁起から、鎌倉の長谷寺の本尊造立までを描いた絵巻物で、本館蔵の絵巻には弘治3(1557)年の年代が見え、室町時代末期に作られたことがわかります。他に徳川美術館蔵など八種類が伝えられています。
 つぎの二つ絵は寺伝の「長谷寺縁起絵巻」の一部です。 

十一面観音立像

 鎌倉の長谷寺の十一面観音立像は正確な建造年代は判りませんが、おそらく室町時代末期にそれ以前からあったものを新たに作り直したものと思われます。
 観音ミュージアムには、本尊の前で「お前立ち」となっていた十一面観音立像が安置されています。この仏像は江戸初期の寄木造ですが胎内に天文7年(1538年)の銘札があり、室町時代に本の観音像があったものと考えられます。めずらしいことに、その頭上から十一面の形態を観察することができます。ぜひ、ごらんください。

  • 十一面の意味 お顔が十一面もあるは、様々な願いや思いに応じるためであり、あらゆる方向を向き、様々な表情をしています。頂上に本来の仏の面、正面に小さな化仏(菩薩がやがて如来になることを示す)があり、正面の菩薩面(人々を救う穏やかな顔)、左の狗牙上出面(厳しく諭す顔)、右の䐜怒面(人々を怒る顔)、背面に大笑面(安堵して大笑する顔)のあわせて十一面のお顔をもち、その広範な救済の力を具現化しています。十一面観音の構成には例外もあり、本面を入れて十一面とする場合もあります。
  • 長谷寺式十一面観音像 通常、十一面観音は左手に蓮華をさした華甁けびょうを持ち、右手は垂らしててのひらを開く施無畏せむい印が一般的ですが、長谷寺の十一面観音は右手に地蔵菩薩と同様にに錫杖しゃくじょうを持って歩いていることを示しており、大和の長谷寺も同じで、長谷寺式といわれています。十一面だけでなく、錫杖を持っていることで悩み苦しむ人々をどこへでも行って救うという姿を示しているのです。

その他の文化財

 観音ミュージアムには前立観音を始め、観音三十三応現身像(室町時代)、大黒天像(室町時代、応永19年銘)、十一面観音懸仏(鎌倉~室町、国重文)、鎌倉時代の文永元(1264)年銘の梵鐘(国重文)、応永20(1413)年銘の鰐口、弘長2(1262)年銘のある巨大な板碑など貴重な仏像・美術工芸品が展示されています。

  • 観音三十三応現身像(室町時代 市指定文化財) もとは本尊の両脇に並べられていました。三十三応現身おうげんしんとは、観音菩薩が人びとを苦しみから救い、教えを広めるために三十三の姿に変身することをあらわしています。寺伝では、この群像は室町幕府将軍足利義政の命で修理したと伝えられ、胎内から文明8(1476)年の墨書銘も見つかっており、室町中期の造立であることは確かです。
  • 十一面観音懸仏(鎌倉~室町 国重文) 懸仏かけぼとけとは、神の依代である鏡面に仏像が現出するという神仏習合の思想から生み出され、平安時代に始まり、鎌倉~室町時代に盛んに造られました。その多くは明治の廃仏毀釈で破却されてしまいましたが、長谷寺には幸運にも六面の懸仏が残されました。いずれも鎌倉~室町時代の物で年代がわかるものもあります。いずれも本尊と同じ錫杖を持った長谷寺式十一面観音の尊像が付けられており、本尊の観音堂にかけられていたとすれば、これだけ大きな懸仏をかける事の出来た大伽藍だったことが想像されます。
  • 梵鐘(鎌倉時代、国重文) 長谷寺に残る文化財の中で、年代が判る最古の物。銘文には「新長谷寺」とあり、文永元(1264)年7月15日に、住持真光の代に沙門浄仏が勧進して浄財を募り、鋳物師物部季重が鋳造したとの文字が鋳出されています。物部氏は奈良に源流があり、当時、関東地方で活躍していた鋳物師です。この梵鐘は、鎌倉の梵鐘では大船の常楽寺(1248年)、建長寺(1255年)に次いで古く、円覚寺(1301年)よりも前に造られています。この鐘は現在はミュージアムで展示され、間近に銘文を見ることができます。現在、境内の鐘楼にある梵鐘は新たに鋳造されたものです。
  • 板碑(鎌倉時代) 関内には二基の巨大な板碑いたびが展示されています。板碑とは、五輪塔と同じく、平安時代に始まり、鎌倉・室町に流行した墓碑の一種で、長谷寺には多数が残されています。二基のうち、弘長2(1262)年の銘のある方は高さ191cmで、秩父青石(綠泥片岩)で造られ、阿弥陀如来の種子しゅじ(キリーク)がくっきりとヤゲン彫りにされています。もう一つの徳治3(1308)年銘の方は高さ269cmもあり、鎌倉でも類を見ない大板碑です。昭和18年の観音堂修理で本尊の台座を後方にずらした際、地下から発見されました。地下にあったため保存状態は良好で、宝篋印塔の図柄、刻銘もはっきり見ることができます。
  • 鰐口(室町時代) 鰐口わにぐちは銅や鉄で鋳造する打楽器で、金鼓ともいい、社寺の堂前に吊るし参詣する人が紐を引いて打ち鳴らす。この鰐口は室町時代の応永20(1413)年の銘がありますが、様式的には鎌倉時代までさかのぼるので奉納の際の後刻かもしれません。県重文に指定されています。

お食事・休憩 海光庵

長谷寺 食事処 海光庵

 長谷寺の境内にある食事処、海光庵。相模湾を一望できる、素晴らしいロケーションのレストランです。精進料理が基本のようですが、カレーが人気だとか。もちろんビールもOK。「長谷」寺をゆっくりと見て回った後は、静かに海を眺め、観音様の功徳に想いを「馳せ」たいものです。

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