長谷の裏道

旧諸戸邸

甘縄神明社から鎌倉文学館へ

 甘縄神明社から鎌倉文学館に向かう「長谷の裏道」あたりには、かつて別荘として建築された洋風の建物が幾つか見られます。また、川端康成邸や吉屋信子邸などの文士を旧居をめぐる文学散歩のコースにもなります。今回は鎌倉文学館まで足を延ばし、そこから江ノ電由比ヶ浜駅に向かいます。この逆のコースをとっても良いでしょう。

川端康成邸

 鎌倉は戦前には別荘が造られ、多くの政治家や財界人が移り住んだり、夏の一時を過ごしていました。文学者も多く「鎌倉文士」などといわれたものです。最も有名なのが川端康成です。川端はこの甘縄神明社のすぐ左手にすんでいました。川端は鎌倉を好み、1936年に浄明寺に住み始め、一時、鎌倉宮隣の蒲原有明邸で借家住まいをした後、1946年にこの地に移りました。
 この地で『千羽鶴』や『山の音』などの作品を書いています。1971年にノーベル文学賞を受賞しましたが、その翌年、宿泊先の逗子マリーナで服毒自殺してしまいました。その住居だったこの地には川端康成記念館が造られましたが、現在は閉館しており、見学できません。

長谷の裏道

 鎌倉は関東大震災で大きな被害を出していますので、明治・大正期の建物はほとんどありません。この甘縄神社から鎌倉文学館あたりの裏道を歩くと、ちょっと気になる洋館が見られます。これらは昭和戦前期に建てられた、別荘建築が残ったもので、戦災を受けなかったため残っています。貴重な建築は鎌倉市の景観重要建築物の指定を受けて、保存されています。表のバス通りと違って、のんびりと洋館を眺めながら歩くことができます。

諸戸邸

 鎌倉市内に残る関東大震災以前、明治末期の建築で、大変重要な文化財です。また、二階建ての洋風別荘建築としても代表的なものと言えるでしょう。明治41(1908)年に福島浪蔵氏の邸宅として建築、大正10年ごろ、三重県で農林業を営んでいた諸戸清六氏に譲り渡され、昭和52年に無償で鎌倉市に提供されました。鎌倉市は1210万円で修理、昭和55年から「長谷こども会館」として使っていましたが、現在は利用されることもなく、その保存も課題になっています。

 ギリシア建築を取り入れた正面のバルコニーの柱は、1階がドーリア式にメダリオン飾り、2階がイオニア式で装飾されています。残念ながら、現在は公開されて織らず、内部に入ることは出来ません。

もっと知りたい方に

鎌倉近代建築の歴史散歩
港の人
西洋建築・近代建築史の専門家であり、鎌倉市の近代建築物調査に長くかかわってきた著者が、明治期のものから戦後モダニズム建築まで、鎌倉の貴重な建物(50件)を簡潔な解説とともに紹介。エリア別マップもついて、鎌倉建築散歩のガイドブックとしても役立つ1冊。
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