御霊神社(坂ノ下)

御霊神社(坂ノ下)

 鎌倉とその周辺には、鎌倉権五郎景政を祭神とした神社で、あちこちにあります。御霊はここ坂ノ下では「ごりょう」とよびますが、他では「ごれい」とよんだり違いがあります。この坂ノ下の御霊神社はその本社にあたり、荏柄天神と並んで鎌倉でも最古の神社の一つです。

ご案内

2014/3/24

 坂ノ下御霊神社への道は二方面あります。
・長谷寺から 長谷寺を出ていったん大通りに戻り、右に曲がって鎌倉彫の店白日堂からさらに右に入ると、この道が御霊小路といわれる通りです。さらに進んでいくと途中に鎌倉権五郎社の石標があるので右に入ると、御霊神社の長谷側の鳥居に出ます。

・江ノ電長谷駅から南に向かい、T字を右に折れます。これが星ノ井通りで、面掛け行列が行われる通りです。しばらく進と右手に古風な「力餅家」という和菓子屋があり、その前に五霊社鎌倉権五郎景政と彫られた大きな石標があります。ここを右に入り、まっすぐ進んで江ノ電の踏切を渡ったところが御霊神社です。

境内

 御霊神社を参拝します。鎌倉最古の神社であること、面掛け行列などの神事が伝えられていること、最近ではアジサイの名所としても知られるようになった坂ノ下御霊神社ですが、最近、残念なことに境内での写真撮影が禁止となりました。そのため最新の情景をお伝えるすことはできなくなってしまいました。ここに掲載する写真はいずれも2020年以前のものです。乞うご容赦!

2019/9/18
社殿
御霊神社社殿
見事な唐獅子牡丹の木彫

 境内にはたくさんの末社や樹木があります。

鎌倉権五郎景正

 鎌倉権五郎景政(景正)とは実在の人物で、平安時代にこの地域を開発した領主です。景政の子孫として土着したのが、鎌倉党と言われる大庭氏・長尾氏・村岡氏・梶原氏などで、その氏の名はいずれも開発した土地の地名に由来しています。
 御霊神社の屋根に見られる社紋は「違い鷹の羽」ですが、これは鎌倉権五郎景正の家紋です。また境内には景正とゆかりのある弓立松とか、袖に入れていたそで石、手玉にとって遊んだという手玉石があり、彼がいかに力持ちであったかを伝えています。
 景正は平安時代の人ですが、後の鎌倉幕府を作った武士社会の先駆者の一人だったといえるでしょう。その逸話はさまざまなものが伝えられています。

コラム 鎌倉権五郎の逸話
 鎌倉権五郎景正は後三年の役(1083~87)の時、源義家に従って奥州で清原氏と戦ったとき、先頭に立って戦った。そのとき敵の射た矢が右目に命中した。景正はひるむことなく返す矢で敵を倒し、しずしずと陣中に戻ってから「景正、手傷を負うたり」と叫んで倒れ込んだ。それを見た甥の三浦為継が、景正の額に足をかけて矢を引き抜こうとすると、為継の鎧の草摺りをむずとつかんで飛び起き、「足で額を踏むとはなにごとか。つわものにとって耐え難い」と言い放って斬りかかった。為継をはじめ居並ぶ諸将も舌を巻き、景正をなだめて坐らせ、為継が腰をかがめて矢を抜き取った。
 後に南北朝時代の戦乱が相次ぐ中で、武士の間に矢傷、刀傷を戦場で治療するための軍陣外科術が生まれると景正はその祖として崇敬されるようになった。

景正 弓立松
景正のそで石・手玉石

庚申塔

 境内の右手奥に、庚申塔などの石造物がずらりと並んでいて壮観です。参拝を終えたら、ぜひごらんください。

文政8年銘庚申塔の台座

 境内は庚申塔は大小様々、十基ほど並んでいます。いずれも江戸時代のものです。
 一番奥の笠塔婆のある六臂の青面金剛が最も古く、延宝元(1673)年銘があり、市指定文化財になっています。側面には猿が浮き彫りになっています。
 左から4番目は六臂青面金剛が波に乗っている、珍しい造形で、享保8(1723)年のものです。
 7番目にあるのは文政8(1825)年のもので市指定文化財とされています。同じく六臂青面金剛が邪鬼を踏みつけており、典型的な庚申塔ですが、最も面白いのは台座です。よく見ると、なにやら陽気に踊る三猿が浮き彫りになっています。三猿が拍子木、扇、御幣をもって三番叟を踊っているのです。江ノ島の島内にも全面に踊る猿を造形した庚申塔がありますが、これも江戸の庶民のエネルギーを感じさせる造形美術だと思います。
 → タグ 庚申塔

行事

御供流し神事

神輿

 昔、坂の下の沖合2kmを通る船が座礁することが多かったそうです。寛政3(1791)年の9月、海中から巨石を引き上げ、それを丁寧に祀ったところ、海の事故が無くなりました。その巨石を神体として祀っているのが社殿の右隣にある摂社の一つ、石上神社です。いまでも社の後に立っている、2mほどの大石がそのとき海中から引き出された大石だそうです。
 それ以来、毎年7月(現在は第3月曜の海の日)には海神の霊を鎮めるため、坂ノ下の若者が神輿と共に海に入り、赤飯を捧げて泳ぎ供える「御供ごく流し」の神事が行われています。境内にはこのとき使われていた大神輿も保管されています。

例大祭 湯立て神事

 毎年、7月18日の御霊神社例大祭では、午前中に湯立て神事(鎌倉神楽)、午後に面掛け行列が行われます。2019年は雨のため、午前中の湯立て神事だけが執り行われ、面掛け行列が中止になりました。その時の湯立て神事の様子です。

・面掛け行列
 鎌倉権五郎景政の命日とされる9月18日は、御霊神社の例祭とされており、その日の午後には、神輿渡御の行列とともに面掛け行列という神事が行われます。
 行列は爺・鬼・異形いぎょう・鼻長・からす天狗・翁・火吹男ひょっとこ・福禄・おかめ・とりあげ女の十種類の仮面をつけた面掛衆が練り歩くというユニークなものです。もともとは鶴岡八幡宮の放生会ほうじょうえの時に行われていた行事でしたが、明治以降にこの坂ノ下の御霊神社で行われるようになったそうです。
 現在では妊婦姿のおかめは「ハラミット」とも言われ、豊作・豊漁を祈る意味が込められるようになり、また妊娠中の女性がそのおなかをなぜると安産になるとも信じられています。
 面掛け行列で用いられる仮面は、境内の宝物館に保管されています。このさまざまな奇妙なお面は、源流のインドなどから伝わった奈良時代の伎楽の面であったようです。
 その中の福禄寿(頭の長い人物)は、鎌倉・江ノ島七福神の一つとされており、同じものが社殿の中に飾られているのを拝礼の時に見ることができます。
 2019年9月18日の例大祭を見に行きましたがあいにくの雨で午前中の湯立て神事だけで終わり、面掛け行列は中止になり、実際の写真に収めることはできませんでした。コロナでの中止も解け、2022年からは再開されていますが、日程が合わずまだ行くことができません。いつかは見に行ってみたいものです。

面掛け行列の面が収蔵されている宝物館

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