北条政子縁の安養院
正治元(1199)年に頼朝が亡くなると北条政子はその菩提を弔うために長谷笹目に長楽寺を創建しました。長楽寺は幕府滅亡時に焼失(その跡地が前田侯爵別邸、現在の鎌倉文学館です)してしまったので、善導寺という寺のあったこの地に移り、寺号を長楽寺とし、院号を政子の法名から安養院としました。
そのため安養院は北条政子との縁が深く、本堂内には政子と伝える尼姿の像が安置され、本堂裏手には政子の墓と伝える宝篋印塔が建てられています。今も北条政子の縁の寺として訪れる人が多く、また4月には境内一面を覆うようなツツジの花で有名な古寺です。
安養院データ
- 宗派 浄土宗
- 山号寺号 祇園山田代寺
- 本尊 阿弥陀如来像と千手観音
- 開山 願行上人
- 開基 北条政子
- 創建 嘉禄元(1225)年
- 板東三十三観音第三番札所
ミニガイド
- 安養院と田代観音 江戸時代の延宝8(1680)年に全焼したため、頼朝の家臣田代信綱が比企谷の南に創建した観音堂の千手観音像を移しました。田代観音は、杉本寺、逗子の岩殿寺に次いで、板東三十三観音第三番札所でしたので、現在は安養院が第三番札所とされています。また、田代観音を迎えたので、寺号は田代寺というようになりました。
- 二体の本尊 本堂には立派な光背を背にしておられる阿弥陀如来坐像と、よく見るとその後には千手観音像が安置されています。この二体ともご本尊とされています。阿弥陀如来像は室町期の仏像ですが、千手観音は江戸時代に造られ、その胎内に田代信綱の守り本尊を収めているといいます。
- 北条政子供養塔 本堂の裏手、二基の石塔のうち、左手の小ぶりの宝篋印塔が北条政子の供養塔です。北条政子は、嘉禄元(1225)年に亡くなり、源頼朝が創建した勝長寿院(大御堂)に葬られました。ところが勝長寿院は幕府滅亡と共に廃絶してしまったため、墓の行方は判らなくなりました。この安養院の宝篋印塔や、寿福寺の政子の墓と伝えられる五輪塔は、いずれも後に造られた供養塔と思われます。
- 尊観上人供養塔 二基の宝篋印塔のうち、右手の大きな方は浄土宗名越派開祖尊観上人の供養塔です。この宝篋印塔は、徳治3(1308)年銘があることから、鎌倉最古の宝篋印塔であることがわかり、国の重要文化財に指定されている歴史的に貴重なものです。
ミニギャラリー
ツツジの安養院
いずれも2023年4月28日に撮影しました。