旧山本条太郎邸 旧満鉄副総裁の別荘
山本条太郎(1867~1936)は実業家で南満州鉄道総裁を務め、政治家としても活躍した人物です。この地に大正7(1918)年、山本条太郎氏が別荘として数寄屋造りの和風建物をつくりました。鎌倉でも数少ない関東大震災(1923年)前の建築で国の登録有形文化財に登録されています。現在は神霊教が鎌倉霊源閣として管理しています。
鎌倉霊源閣 見学申込み
TEL:0120-220-486(フリーダイヤル)
神霊教 鎌倉霊源閣ホームページ
山本条太郎邸データ
- 敷地:5000坪 建坪:150坪
- 建築:数寄屋造り 母屋・茶室
- 創建:大正7(1918)年
- 登録:国の登録有形文化財
- 住所 鎌倉市長谷3-2-11
道順 江ノ電長谷駅下車。徒歩約10分。大仏に向かう道の途中、左側の蕎麦や「土手長」の角、「鎌倉能舞台入り口」の看板があるところを左に入る。しばらく進むと分岐点に出るので、そこを右に進む(左に入ると鎌倉能舞台へ)と、「神霊教錬成場」の小さな看板がある。通常はそこからは入れず、別荘の建物も見えない。そこから先に入るには、「神霊教鎌倉霊源閣」のホームページで事前に連絡が必要。
ミニガイド
- 関東大震災前の建物
山本条太郎別荘として用いられ、関東大震災に耐え、昭和期には吉田茂など政府の要人も訪れたと言います。戦後の昭和31年に九鬼氏に譲渡され、私邸として使用されていましたが、昭和56年に宗教法人神霊教が取得し、建物、庭をそのままの状態で維持しており、最近、公開されるようになりました。標高40㍍の高台に立地し、大広間の庭からは由比ヶ浜を一望することができます。 - 国の登録有形文化財に指定
茶室はもと「無畏庵」といい、山本氏の茶道の師、益田孝氏(三井物産初代社長。鈍翁)が名付けました。数寄屋造の複雑な建物は、京都から職人を呼び、資材を取り寄せ、当時の技術の粋が集めたもので、現在では再現できないといわれています。歴史的かつ文化的な建造物として、2018年、国の登録有形文化財されました。特に戦前の鎌倉の「別荘文化」の遺産として、最近注目されています。