時宗 別願寺
別願寺データ
- 宗派 時宗
- 山号 稲荷山
- 院号 超世院
- 本尊 阿弥陀如来像
- 開山 覚阿公忍
- 創建 弘安5(1282)年 真言宗から改宗
- 鎌倉三十三観音霊場第十三番札所
時宗の寺院
別願寺は時宗の寺院。一遍上人が開いた念仏宗系の宗派。本山は藤沢の清浄光寺(遊行寺)です。時宗の寺院は鎌倉では他に大町の教恩寺、西御門の来迎寺、材木座の来迎寺、十二所の光触寺、北鎌倉の光照寺があるだけです。
別願寺はもと真言宗のお寺でしたが、公忍が一遍の弟子になり覚阿と名を変え、改宗したそうです。室町幕府が鎌倉においた鎌倉公方であった足利基氏・氏満・満兼三代の菩提所となったところで、かつては広い寺域を持つ、鎌倉有数のお寺でした。
2023年4月、久しぶりに別願寺前を通ったら、すっかり様子が変わってた。以前は無いも同然だった本堂が立派な寺院建築になっていた。そのかわり、この時期にみごとな花を咲かしていた藤は姿を消していた。上の写真は現在の別願寺。下の写真は藤の木があった頃の2017年4月28日のもの。
足利持氏の宝塔
墓地の中にある立派な石塔は、宝塔といわれる形式で、鎌倉公方足利満兼の子の足利持氏の墓と伝えられる、たいへん立派なものです。実際には室町時代よりも前の鎌倉時代の建造と考えられ、国の重要文化財に指定されています。
永享10(1438)年、鎌倉公方足利持氏は、室町幕府将軍足利義教と対立し、幕府側の関東管領上杉憲実との間で戦端を開きました。これが永享の乱ですが、持氏はこの戦いに敗れ、鎌倉の永安寺で自殺した武将です。
ミニギャラリー
いずれも新しい本堂が完成した2023年より以前のもので、現在ではありません。