厄除け・病封じの寺
- 宗派 日蓮宗 もと京都本圀寺の末寺
- 山号 法久山
- 本尊 三宝祖師像
- 開山 日範
- 創建 正和2(1313)年
上行寺
上行寺は日蓮宗のお寺です。鎌倉の禅宗寺院のようなとり澄ました上品さや、あるいは浄土系寺院のような安らかな極楽往生の演出とは違う、なにか荒々しささえ感じさせる、庶民的な現世利益を求める信仰が今も息づいています。鎌倉でも異色の寺院と言って良いでしょう。昇殿して信者と共に参拝するのも良いのでは。
先日、上行寺の前を通ったら、鬼子母神薬師堂がかさ上げ工事中でした。以前は、地面の上にただ建っていただけで、通りからは屋根しか見えませんでしたが、これでお堂の正面がバスからも見えますね。一段とアピール効果が上がるでしょう。(2023/4/28)
鬼子母神と瘡守稲荷
鬼子母神薬師堂内の鬼子母神像は珍しい鬼面の合掌像で昭和初期の住職が信者から奉納された千人分の毛髪が植えられています。鬼子母神は法華経の守護善神とされ、日蓮宗の寺院ではご祈祷の対象とされることが多いようです。
鬼子母神像は、鎌倉の日蓮宗寺院でも、妙本寺の本堂裏、大宝寺の本堂内、龍口寺の本堂内など、あちこちで見ることができます。
それにしてもこの上行寺の鬼子母神は、最も個性的で、迫力があります。
境内の瘡守稲荷は、最近では癌よけに霊験があるとされ、さらに眼病や元気回復にも効くと喧伝されるようになり、熱心に病気平癒を願う人が絶えません。
ミニガイドとギャラリー
観光の寺ではなく、庶民の信仰の寺なので、これといった見るべきものはありませんが、山門の上部に「左甚五郎作厄除けの龍」という標識があり、小さな龍がこちらを睨んでいます。また祖師堂の柱の上部の彫刻も手が込んでいて、なかなかのものだという感じがします。
桜田門外の変の志士の墓 万延元(1860)年の桜田門外の変で大老井伊直弼襲撃に加わった水戸藩士の広木松之介は現場から逃れ、鎌倉の上行寺に潜伏しました。同志が皆、殺されたり切腹したことを知り、後にこの寺で自刃し、その墓(顕彰碑)があります。