北鎌倉 鎌倉道と裏道を歩く

北鎌倉駅

 横須賀線は円覚寺の境内を削って1889(明治22)年に開通しましたが、北鎌倉駅は1927(昭和2)年に5~10月だけの季節限定駅として開業、1930(昭和5)年に通年営業となりました。1997(平成9)年には「関東の駅百選」に選ばれました。駅周辺はかなり変化しましたが、それでも昔の面影を残しています。
 今日は円覚寺側ではなく、駅正面の改札を出て、鎌倉街道を南に辿りましょう。
 まずは駅前で一服。じっくりルートを検討します。それには喫茶店「門」が最適。おいしいコーヒーを飲みながら、これからのルートを見ておきます。

駅前

喫茶店 門

 門は改札を出てすぐ左にある小さな喫茶店。2023年8月26日、北鎌倉を一巡りしたあと、駅前の喫茶店「門」で一休み。想像通り、店名は円覚寺の帰源院で参禅した夏目漱石の小説『門』に由来している。もう何十年も前から北鎌駅前で営業している老舗ですが、今は素敵な女性がおいしいコーヒーを入れてくれます。

2023/8/26

 テーブルにかわいらし花が飾ってあるので何という花なのか聞いたら、「ジュズサンゴ」です、と教わった。店の前に咲いているというので帰りに見たら、たくさん咲いていた。白い花と黄色い実と、熟した赤い実の三色が同時に楽しめるとか。あまり見かけないと思ったら沖縄など暖かいところで咲くそうです。

 北鎌倉駅前 喫茶店 門

 さて、北鎌倉・鎌倉街道の散歩に出かけましょう。メインの通りは鎌倉街道。円覚寺の前はかつては馬道を迂回して歩きました(円覚寺のページを参照してください)。正面に交番がありますが、そこで道を聞こうと思って訪ねても、今は無人になってしまい、建物だけがいかめしく残されています。

 交番の右手の細い道は、風情のある北鎌倉の脇道ですが、ここを訪ねるのは後にして、まずは車がうるさいですが、鎌倉街道を右、大船方面に進みましょう。

海軍要塞地帯の標識

 交番の左手にある石垣は、鎌倉時代から円覚寺の領域を示すもので、交番との間の道が昔の馬道です。ところで石垣の前に何やら標識が立っていますね。何と書いてるのでしょうか。

 これは戦争中に鎌倉が海軍の横須賀鎮守府に属する要塞地帯だったことをしめす標識です。北鎌倉がその入口だったことを示しており、戦争中は鎌倉が要塞地帯に含まれ手いたことを今に伝えています。今では考えられませんが、戦前の鎌倉は要塞地帯に含まれていましたから、写真やスケッチを禁止されていたのです。鎌倉も戦争と無関係ではなかったことを示す貴重な遺物です。

鎌倉街道を歩く

 交番の前の通りが、現在も横浜方面から鎌倉に入るほぼ唯一の道、横浜鎌倉線のバス道路です。今も車が絶えない道路ですが、鎌倉時代も鎌倉街道として関東方面と鎌倉を結ぶ重要な道路でした。頼朝が軍勢を率いて北に向かうときもこの道を通り、また幕府を亡ぼそうとする新田義貞軍などもここを通っていきました。

十王堂橋

 しばらく行くと、右手にローソンの前、左に入る車道にでます。これは瓜ヶ谷から梶原に向かう古い道です。そこをまっすぐ行くと、左側に小さな欄干があり「じゅうおうどうばし」と読めます。道路の反対側には欄干がないので、これが橋かとは気づかずに通ってしまいそうですが、これが「鎌倉十橋」の一つとされている「十王堂橋」なのです。右手の下流は暗渠になってしまいました。→ タグ 十橋

十王堂橋
十王堂橋

 「十王堂」とは死後の人間を裁く閻魔などの十王を祀るお堂のことで、昔は橋の右手にあったようです。今はもう無くなり、このお堂に祀られていた十王は、現在では、円覚寺の塔頭の一つ、桂昌庵に納められています。

篝屋跡と一遍上人

 じつはこの場所は、鎌倉時代の円覚寺の寺域を示す地図に「篝屋かがりや跡」とがあったことが書かれています。この場所は鎌倉の入口として人通りが多く、夜になると篝火がたかれる場所だったらしいのです。「篝屋」は京都でも設けられており、鎌倉市中にもあったことがこれで判ります。
 十王堂橋あたりが鎌倉の入り口として重要な場所だったことは、鎌倉時代の一遍上人の話で分かります。踊念仏を繰り広げて全国に布教活動を展開していた一遍いっぺんは、いよいよ鎌倉に入ろうと巨福呂坂に向かい、1282(弘安5)年3月1日にこの山ノ内にさしかかりました。ところがちょうどその時、執権北条時宗の一行が通りかかり、幕府は踊念仏を人心を惑わすものとして禁止していたので、一行は鎌倉に入ることができませんでした。
 この劇的な時宗と一遍が邂逅した様子は絵巻の『一遍聖絵』に見事に再現されています。次がその場面で、道沿いに商家が並び、左手が一遍の一行、右手の馬に乗った白い装束の武士が北条時宗と思われます。『一遍聖絵』は鎌倉時代後期に作られているので、この図はそのころの鎌倉の様子を伝えるものとして大変貴重です。

『一遍聖絵』遊行寺蔵

 一遍は鎌倉に入るのをあきらめてその夜はやむなく近くの山際で念仏を唱えながら野宿をしました。その場所が現在の時宗の光照寺のあるところだとされています。
 翌日、藤沢に向かった一遍は片瀬で踊り念仏を興行し、多くの信者が集まりました。さらに西に向かい、関東でのその教えの普及はやがて藤沢に作られた遊行寺ゆぎょうじが中心になります。

光照寺への道

 しばらく進むと、左手に鎌倉女学園に行く道がありますが、ここではまっすぐ進みます。すると右手にお城のような立派な建物が現れますが、これは小坂郵便局の建物です。その前を左に入る道が、一遍が野宿したところに作られたという光照寺があります。ここから山ノ内の裏道に入ることができます。

小坂郵便局
光照寺への道

旧小泉邸の白木蓮

 光照寺道に入る前に、もう少し進んでいくと、大きなマンションの一角が、「はくもくれん公園」となっていて、そこに見事な白い花を咲かせる白木蓮の大木があります。四三月末から四月頃の春の花の時期なら、ちょっと寄り道すると良いでしょう

2021年3月1日

 この白木蓮の大木は、この地にあった小泉家の屋敷でもっと豊かな花を咲かせていましたが、マンションに建て替えられたときから、樹勢が衰え、一時は伐採されることが決まりました。しかし、次第に樹勢を取り戻し、現在ではごらんのようにかつてと同じようにたくさんの花を咲かせるようになりました。樹木が人間の思惑を超えて、自分の力で生き返ったのです。

2015年3月20日

鎌倉街道沿いの個性的なお店

 北鎌倉から北に向かう鎌倉街道沿いは、観光客はあまり行かない方面ですが、なかなか個性的で面白いお店があります。そのうちのいくつかを紹介しますので、余裕があったら覗いてみてください。

中華料理 大陸

 小さなお店ですが、至って庶民的で、地元ではよく知られた中華料理店。
    北鎌倉駅前 中華・大陸

あがり羊羹 松花堂

 これも地元でよく知られた古くからの羊羹屋さん。

こけし おもと

こけしの店 おもと

 全国でも珍しい、本格こけしの専門店。昔は東京のデパートでこけしを売っていたとか。昭和40―50年代にはこけしブームが一段落し、北鎌倉に店を構えた。
 今でも全国から本格的な作家もののこけしを求めて固定客がやってくる。店主の西山さんはきさくな方。こけしの話なら何時間でもしてくれます。
 お問い合わせ ℡0467-25-2692
 休み 火曜・水曜

蜂の巣 コーヒー店

 もともとは酒屋だったが、コーヒーの焙煎と販売店に転身。店内で喫茶コーナーもあり、試飲できる。いつも甘いコーヒーの香りが楽しめる。
   北鎌倉 ベルタイム・コーヒー店

北鎌倉駅ホーム脇の路地

 コーヒー店ジャンヌ・ダルクの先、しばらく行くと右手に入る路地がある。そこを進むと北鎌倉駅上りホームの脇の細い路地にでる。ホームと民家のギリギリの間には時にはアジサイなどが咲いていたり、またちょっとした探検心が味わえる。やがてホームも行き止まりになり、そこから小さな小さな踏切を渡ると北鎌倉の東側の狭い通路に出る。そちらの案内は「北鎌倉駅東側の散歩」でどうぞ。

山ノ内の裏道

 光照寺道を進んで緩やかな坂を上がると右手が光照寺です。光照寺をゆっくり拝観するのも良いでしょう。それには別項を参照してください。
 光照寺の山門から戻り、左手(鎌倉街道からみれば右手)の路地に入ると、別世界のような静かな小道が続きます。路傍の石垣には雪の下や苔が生え、家の庭木もよく手入れされて青々としています。桜の時期なら、路地の右側の民家の庭の桜の大木が満開で迎えてくれます。

幻董庵 旧田中絹代邸

 細い路地を進むと左手に総二階の和風建築の家が見えてきます。現在は幻董庵という和食店になっていますが、かつては戦前・戦後に人気が高かった映画女優の田中絹代さんが住んでいたところです。

 食べログページへ 北鎌倉 和食 幻董庵

三孫稲荷

 くねくねとした小道を北の方に進んでいくと、左手が一段と高くなっており、そこはかつて海軍将官が多く住んでいたという海軍山に当たります。その山際に危機に囲まれ、石段の上に小さなお稲荷さんが鎮座しています。これは右手の高い塀に囲まれた一帯に住んでいた、酒屋の「三孫さんまご商店」(今は無く、敷地はマンションになっている)の屋敷稲荷でした。

2015/4/12

海軍山から北鎌倉女学園へ

 北鎌倉駅の方に戻りましょう。山ノ内の裏道から出てきたところまで戻り、右手の坂を上っていくと、海軍山の住宅地に出ます。このあたりは戦前に開発され、横須賀軍港に近いので海軍の将官たちの邸宅が並んでいました。それで俗称「海軍山」というのです。

大船観音が望める
2023/5/28

新緑の頃の海軍山住宅の裏道

山小屋風のレストラン

 路地を進んでいくと、木々の中の崖下に小さな橋で渡って入れるようになっているレストラン風の建物があります。ギャラリー&カフェ・NEST です。北鎌倉裏道散歩の途中で一休みするには最適ですね。

 北鎌倉ギャラリー&カフェ NEST

 この前の小道を左に下っていけば、光照寺のお墓の脇に狭い石段があり、光照寺の切り通しにでることができます。 → 光照寺の項を参照
 今日はもう少し足を伸ばして、小道を右にとり、海軍山住宅のメインの通りに出て、光照寺道と交差してまっすぐ進み、北鎌倉女学園に向かいましょう。

北鎌倉女学園のあじさい

 急な坂道を下っていきます。途中の女学園にそって右手の久三かを上っていくと、台峰のハイキングコースに出ますが、かなり長い急坂なので、またこんどにして、今日は右手の坂を下りていきます。反対側の山は、円覚寺の境内に接している六国見参の山並みです。新緑の頃、山桜の頃、紅葉の頃は素晴らしい眺望が広がります。
 北鎌倉女学園は音楽教育の盛んな女子中・高校です。女子校らしく、校舎は花で囲まれていますが、最近は隠れたアジサイの名所になっています。アジサイの時期には鎌倉街道から女子生徒と一緒に坂道を息を切らして上がってきて見るのも良いでしょう。

2023年6月23日

山ノ内の裏道にもどる

ぞうさん公園 タブノキ

 北鎌女の急坂を下り、鎌倉街道には出ないで、途中からまた狭い山ノ内の裏道に戻りましょう。くねくねと曲がりながら南に向かい、小さな橋を渡って瓜ヶ谷(梶原に抜ける道)に出て右に折れ、しばらく行くと左手に大きなタブノキのあるぞうさん公園があります。そこを左に入り、ジグザグに小道を辿っていくと山中稲荷の脇に出ます。

山中稲荷

 路地の奥にある赤い小さなお稲荷さんは「山中稲荷」といいます。室町時代にこの辺りに住んでいた藤源治という刀鍛冶の屋敷内にあったものといわれています。鳥居は柱の上部に円盤を載せた、稲荷鳥居という形式が見られます。

おしゃぶきさま

2015/4/24

 北鎌倉界隈には住民の生活道路として続く昔からの路地がみられます。山中稲荷からまっすぐ伸びる小路の途中から右に入り、曲がりくねった路地をたどっていくと、左側に小さな石塔があります。これは地元の人が「おちゃぶきさま」といって大切にしている祠です。今でもこの祠に祈ると咳が止まると信じられ、風邪を引いた人がお参りするといいます。ひそかにおもうに、この咳を沈める神様は、このあたりが鎌倉への関にあたっていたことと関係があるのではないでしょうか。

 おしゃぶきさまの小路を左手にまがり、狭い道をまっすぐ進むと、そこは右手に交番(の建物)があり、鎌倉街道を渡れば北鎌倉の駅です。

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