安国論寺

松葉が谷のお祖師さま

 鎌倉の東南、松葉が谷の安国論寺は「松葉が谷のお祖師さま」と言われ、日蓮宗にとっては歴史的に重要なお寺とされています。それは寺号のもととなった『立正安国論』を日蓮がこの地で書き上げたと言われているからです。
 鎌倉駅からはやや離れた、大町の町外れの名越の山を背にした静かな谷間にある、歴史を秘めた安国論寺を訪ねましょう。

安国論寺データ

  • 宗派 日蓮宗   
  • 寺号 安国論窟寺
  • 山号 妙法華経山 通称 松葉ヶ谷霊跡
  • 開山 日蓮上人 
  • 創建 建長5(1253)年
  • 本尊 日蓮上人像
  • 〒248-0007 神奈川県鎌倉市大町4丁目4-18
  • 鎌倉駅東口 京急バス 緑ヶ丘入口行き 名越下車

日蓮、立正安国論を著す

 日蓮は安房の清澄寺で法華経に基づいた仏教の再建を決意、1256年頃鎌倉に入り、松葉ヶ谷に庵を結びました。そのころ鎌倉では飢饉と地震が相次ぎ、世情は不安定でした。そのような中、日蓮は洞窟に籠もり、ひたすら『立正安国論』の著述にとりくみ、1260(文応元)年に宿屋光則(その屋敷跡が現在の光則寺)を通じて前執権北条時頼に提出しました。
 日蓮は当時の鎌倉での念仏の流行が人々を狂わしていると激しく批判し、幕府に対しては法華経による統治を説きました。しかし幕府は日蓮の建白を取り上げることはなく、かえって8月27日には念仏宗の信徒たちがによって松葉ヶ谷の庵は襲撃されてしまいました。これを「松葉ヶ圧の法難」といいます。
 日蓮は庵の裏山から白猿に導かれて難を避け、安房に逃れましたが、翌年鎌倉に戻ったところを捕らえられ、伊豆に流罪となりました。安国論寺は寺伝では日蓮が『立正安国論』を書き、「松葉ヶ谷の法難」も此所で起こったとされ、ゆかりの霊場があちこちにあります。

御小庵

境内のご案内

山門前の境内案内図

・正岡子規の歌碑 子規は明治21年7月と26年8月の2度、鎌倉を訪れ、歌集『竹の里歌』に鎌倉懐古と題した歌を残しています。その一首で日蓮を讃仰して詠んだ歌です。
 鎌倉の松葉ヶ谷の道の辺に
   法を説きたる日蓮大菩薩
          子規

  • 御小庵と御法窟
御小庵 松葉の寺紋

 ご本堂(祖師堂)の向かい側のお堂を御小庵といい、日蓮が最初に庵を結んだところとされています。現在の建物は、元禄時代に尾張徳川家の寄進による総檜造りの建物です。その裏手の岩屋が日蓮が『立正安国論』を書いた御法窟(日蓮窟)です。この岩屋は関東大震災で崩壊し、昭和35年ごろ修復されましたが、現在は立ち入ることが出来ません。

  • 日朗上人御荼毘(だび)所 

 荼毘だび所とは、火葬にしたところの意味です。日朗上人を火葬にしたところにその墓とお堂が建てられています。
 日朗は日蓮の高弟六老僧の一人で、日蓮が佐渡流罪になった時、鎌倉で捕らえられ、宿屋光則邸(現在の光則寺)の裏山の岩屋に幽閉されました。その後、この地に寺を造り、さらに池上本門寺や鎌倉妙本寺を創建し、多くの僧を育て「師孝第一」と言われました。日朗はこの地で荼毘に付され、名越の猿畠山法性ほっしょう寺に墓所があります。

  • 南面窟 裏山への階段の途中にある「南面窟」は、日蓮が松葉ヶ谷法難の時に白猿に導かれてここに隠れて難を避け、さらに名越を越えて、猿畠山法性寺まで逃れました。
  • 巡礼道と富士見台 南面窟から登っていくと、やや険しい「巡礼道」と言われる山道が続きます。見晴らしのよい富士見台は、伝承によると日蓮が毎日、富士山に向かって法華経を読誦したといわれています。天気がよければ、富士山と鎌倉の海岸、町を一望できるでしょう。そこから急な石段を、熊王殿の脇まで降りていきます。
  • 鐘楼 

 巡礼道の途中に鐘楼があります。この鐘は昭和62年に人間国宝香取正彦氏によって鋳造された「立正安国の梵鐘(通称平和の鐘)」です。新しい梵鐘ですが、大町一帯に鐘の音が響きます。もっともまいにちここまで鐘をつきに登ってくるお坊様も大変ですね。

熊王殿
  • 熊王殿
    日蓮に仕えていた熊王丸が感得したお稲荷さんで、厄除け、眼病平癒、歯痛止め、縁結び、交通安全、家内安全など霊験あらたかとされています。
    写真の右手が熊王殿。左手に立正安国論を書いたという石窟と御小庵があります。


境内の花

  • 妙法桜 御小庵の隣にある小ぶりの山桜は妙法桜と言われ、日蓮の杖をついたところに根付いたのでお杖桜とも言われます。「市原虎の尾」という珍しい山桜だそうです。
  • サザンカ 本堂(祖師堂)の左手にある、めずらしいサザンカの大木は鎌倉市の天然記念物に指定されています。

もっと知りたい方へ

 安国論寺と日蓮について、もっと知りたい方は、次のような本が役に立つでしょう。

日蓮と鎌倉 (人をあるく)
吉川弘文館
仏教の“坩堝”鎌倉に果敢に飛び込み、卓抜した行動で法華経信仰を流布させた日蓮宗の開祖。蒙古襲来の予言、念仏者との抗争、たび重なる流罪など波瀾の生涯を活写。鎌倉の日蓮宗寺院を巡り、その思想と行動に迫る。
立正安国論ほか (中公クラシックス J 3)
中央公論新社
いったい日蓮はどんなことを主張し、そして捕らえられたのか。その思想を知るためには『立正安国論』を読むことが手っ取り早い。解説は仏教学者の紀野一紀氏。
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