竹寺として有名な報国寺。その静かなたたずまいに似ず、いつも来訪者でいっぱいですが、一度は訪ねたいお寺です。また観光の寺ではなく、禅道場としての役割を持ち、歴史的には足利氏・上杉氏との関係の深い寺でもあります。
報国寺へ
- 宗派 臨済宗建長寺派
- 山号 功臣山
- 開山 天岸慧広
- 開基 足利家時
- 建立 建武元(1334)年
- 鎌倉三十三観音霊場第十番札所
- 〒248-0003 神奈川県鎌倉市浄明寺2丁目7−4
- 0467-22-0762
- 竹園入園料 300円(鎌倉市内福寿手帳は無料)
- 交通 鎌倉駅東口バスターミナル 京急バス 金沢八景・鎌倉霊園・大刀洗方面行 浄明寺で下車
- 報国寺に行くバスはいつも混んでいます。また帰りも混むでしょう。満員のバスを避けて鎌倉駅からのんびり歩くのも良いですよ。帰りも歩いて八幡宮などをお参りしても、たいした距離ではありません。滑川に沿って田楽小路を歩くのがおすすめです。
お参りの前に
報国寺は鎌倉から六浦に通じる金沢街道を、杉本寺の先、滑川に沿って行き、華の橋をから宅間ヶ谷にはいったところにあります。宅間ヶ谷は鎌倉幕府の有力な官僚の一族であった上杉氏のなかの宅間上杉氏が住んでいたところで、仏師の宅間法眼もこのあたりに住んでいました。
開山の天岸慧広は円覚寺開山の無学祖元に学び、自ら中国に渡って禅を極めた名僧で、仏乗禅師の称号を与えられました。『東帰集』などの著作は、五山文学の代表的な作品です。
開基は足利尊氏の祖父(貞氏の父)の足利家時となっていますが、家時は1317年(或いは1309年)に死んでおり、建立年の建武元(1334)年とは合いません。『鎌倉市史』では家時の母が上杉重房であったことから、家時供養のため作られた墓堂が重房の曾孫上杉重兼の屋敷地に移され、報国寺に発展したと考え、実質的な開基を上杉重兼としています。この重兼の子孫が宅間上杉氏となります。
報国寺は、かつては宅間寺とも言われて、多くの支院をもつ大寺院でした。宅間法眼の描いた釈迦、文殊、普賢、迦葉、阿難の絵が有名でしたが、明治23年の火災ですべて失われてしまいました。建物なども近代のものですが、仏像や文化財は元のまま伝えています。現在では竹林で有名です。
竹林へ
竹林入園チケットを購入、左手から入ると、楓の若木と千両の植え込みが迎えてくれます。
まずは竹林へ。有名な竹林は、開山の天岸慧広の塔所(墓所)であった、休耕庵という小庵跡に、近年になって作られたものです。ということは鎌倉・室町時代の庭園ではないのですが、見事に手入れされた竹林は、鎌倉でも最も人気のあるスポットになっています。
報国寺の仏像
報国寺の釈迦如来像(右図)は、肉髻は低く、目は少し吊り上がり気味で、軽やかな両袖を蓮台よりもさらに下に垂らし、正面にも裳裾を蓮弁の前に懸けて垂らしている、法衣垂下像です。このような様式は中国の宋の影響を受けた、鎌倉時代の鎌倉にだけ見られる彫刻の特徴です。
やぐらと石塔
本堂の裏手の崖に作られたやぐらは足利家時や義久(持氏の長男で、永享の乱の時に敗れてこの寺で自刃した)の墓とされるものです。残念ながら近づくことはできませんが、鎌倉のやぐらの代表的なものです。
また出口近くに並ぶ小さな五輪塔群は、昭和40年に由比ヶ浜で発掘された、1333年の幕府滅亡の時の戦いで犠牲となった北条・新田双方の戦死者を供養するために、当寺の住職が改葬したものです。
報国寺ところどころ
春
秋
報国寺 鐘楼と大銀杏
帰り道
竹の庭の茶室
報国寺の竹園に入園する際、入園料(300円)と別に300円を払い、竹園のなかの茶室で、お抹茶を頂くことができます。