北鎌倉から八幡宮方面に鎌倉道を進むと、横須賀線踏切の手前の右側に、鎌倉五山第四位の石標と、鎌倉・江ノ島七福神の幟があります。そこを入りしばらく進むと、もうそこは森閑とした浄智寺の境内です。
境内は背後の山々に続いて緑深く、「宝所在近」の額のかかる総門を入ると、踏み古された石段をのぼり、拝観受付に向かいます。どの季節に来ても、静かな境内には花や木々がむかえてくれるでしょう。
浄智寺メモ
- 宗派 臨済宗円覚寺派
- 山号寺号 金宝山浄智寺
- 建立 弘安4(1280)年
- 開山 兀庵普寧
大休正念
南洲宏海 - 開基 北条宗政
北条師時(第10代執権) - 本尊 木造三世仏坐像
〒247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内1402 0467-22-3943
拝観料 大人200円 子供100円
url 臨済宗円覚寺派 浄智寺【公式サイト】 (jochiji.com)
明月院バス停脇 浄智寺入り口
明月院バス停に浄智寺の石標と七福神の看板があります。そこを右に入るとまもなく浄智寺の境内です。
ミニヒストリー
浄智寺は、鎌倉五山の第4位に置かれている臨済宗の禅寺です。開山が三人いるのは、はじめは開山として招かれた日本人僧の南洲宏海が辞退したため、宋からの渡来僧である大休正念を開山として招聘しましたが、さらにその師である兀庵普寧にはばかって、名目の開山としたためです。そのときすでに兀庵普寧は示寂していました。禅僧たちがいかに師や先輩を敬ったかが知られます。
執権北条氏の一門で時頼の息子であった北条宗政が29歳の若さで亡くなったため、その夫人が宗政自身とその子師時を開基として創建しました。師時もそのときはまだ幼児だったので、実質的には宗政夫人が開基と言うことです。
創建された弘安4年は執権北条時宗の時で、第二回の元寇の直前という危機の時代でした。建長寺はすでに創建されていましたが、浄智寺は円覚寺の前につくられたことになり、鎌倉では建長寺に次ぐ本格的な禅宗寺院でした。そのため、その後も高峰顕日、夢窓疎石、清拙正澄などの臨済宗の高僧が住持を務めています。
浄智寺を第四位とする鎌倉五山の寺格は、鎌倉時代に定まっていましたが、制度として確立したのは室町時代の足利義満の時です。
浄智寺はかつては五山第4位にふさわしい七堂伽藍が揃い、その他に多くの塔頭があり偉容を誇っていましたが、延文元(1356)年の火災でほとんどの堂宇を失い、その後も焼失、倒壊と再建を繰り返すうちに次第に衰微してしまいました。また寺伝を伝える文書類も失われたため、詳しい歴史はわかっていません。さらに、関東大震災でほとんどの建物が倒壊したため、現在の建物はいずれも震災後に再建したものです。
境内の案内
甘露の井
総門の手前、左手には鎌倉十井の一つ、甘露の井があります。見落としてしまいがちですので気をつけましょう。 → 鎌倉十井
宝所在近門
小さな池と石橋を前にして、「宝所在近」の語が掲げられている、簡素な総門から境内に入ります。宝所在勤とは、宝物は近くにある、つまり仏性はあなたの心の中にある、という意味でしょう。この門は、仏教寺院ではあまり見かけませんが、高麗門という様式です。
鎌倉石の石段は、いかにも古そうに見えますが、すり減るのが早いため、時々とりかえているようです。でも、すり減った石段が周りの木々とよく融け合い、すばらしい景観になっています。この辺は良く映画のロケに使われるそうで、そういえばどこかで見たような感じがします。
鐘楼門
受付を過ぎると鐘楼門に向かいます。鐘楼門は最近再建されたものですが、二階に鐘楼を置いた珍しい楼門となっており、額には「山居幽勝」とあります。中国から伝わった禅宗寺院の様式を見ることができます。
曇華殿
三門をくぐると、大きな柏槇があり、その間をぬけた左手にあるお堂が曇華殿です。曇華殿の正面にはイチョウの巨木があります。曇華殿には浄智寺のご本尊である、三世仏がおられます。
曇華殿は何時も扉は開き、外の明かりで充分に仏様を拝むことが出来ます。三世仏とは、左から阿弥陀仏、釈迦仏、弥勒仏の三尊が並んでいることで、それぞれ過去、現在、未来を救済するとされています。この三尊を拝むことで、過去・現在・未来の三世における安心が得られるという、ありがたい場所です。
- 三世仏の違いはどこ? 三世仏はいずれも室町時代の15世紀に修造されたようですが、衣の裾を台座に長く垂らした姿は鎌倉時代の様式を伝えています。ところで、三尊は同じ姿をしておられるのですが、一部分だけ違うところがあります。それはどこでしょうか、じっくり探してみてください。答えはページの最後にあります。
- 堂内の諸像 三世仏の左手には開山の大休正念(大きい方)と南洲宏海(小さい方)、右手には禅宗の祖である達磨大師のそれぞれ木造が安置されています。
- 木造観音菩薩立像 曇華殿の左手を入り、裏の角に小さな木造観音菩薩立像を拝観することができます。こちらは鎌倉三十三観音第三十番の、南北朝時代に造立された観音様です。素通りしてしまいそうな小さな仏様ですが、身近に拝観できますので、是非拝顔してお参りしましょう。
曇華殿の周りの巨木たち
庫裡と庭
境内の規模は小さくなってしまいましたが、谷戸の雰囲気はそのまま残っており、独特の趣が感じられます。庫裡とお庭を右手に見ながら進むと、森閑とした竹林にでます。竹林には、節の間が四角な、めずらしい「四方竹」がありますよ。見落とさないように注意しましょう。太い孟宗竹と比べるとよく判ります。
横井戸とやぐら
岩肌には、大小の「やぐら」が掘られています。一番奥にある「横井戸」は、水を得るためのものですが、一説によると奧は通路になっており、北方のある寺院に通じているのだそうです。どこのお寺かは皆さん、地図を見て考えてください。
奧には古い墓石が並んでいますが、卵塔という頭の丸い墓は歴代の住持のものです。
鎌倉・江ノ島七福神 布袋尊
境内の花と樹木
仏殿の前には見事な柏槇が三株、脇には高野槙があり、出口近くにはタチヒガン(桜)を見ることができます。いずれも鎌倉市の天然記念物に指定されています。タチヒガンは庫裡の正面の茶室の前にあり、歌碑は「結界に降る雨あしは光りつつ深き杉生のみどりにしつ舞」安斎寛とあります。
特集 いわたばこ 2023/6/1
梅雨入りも近い6月1日、浄智寺境内の横井戸付近に群生するイワタバコの花を見に行ってきました。やや時期を過ぎたか、だいぶ散っていましたが、それでもまだしっかりした花を見ることができました。横井戸上部の青々と群生しているイワタバコに比べ、右手の岩は条件が悪いのか、必死に岩にすがりついている、という感じでした。
季節ごとの浄智寺
冬から春へ
晩秋 2023年12月8日 曇華殿前 大銀杏はすでに落葉していました。
墓地
墓地には墓参以外は立ち入ることは遠慮しましょう。知人の墓参の際は、庫裡に一声掛けておことわりしてからにしましょう。
源氏山への道
布袋様をお参りした後、庫裡の前を通り、左手に茶室とタチヒガンの大木を見て、葵の紋のある門から抜けて帰ります。受付前の横から出て、左は総門をへて北鎌倉駅方向ですが、右に向かってみましょう。竹を編んだ優雅な塀を右手に見て進むと、左手には日本画家の小倉遊亀さんや映画監督の小津安二郎が住んでいたという雰囲気のある家がありますが、民家ですから覗いたりするのはいけません。
たからの庭
この道をまっすぐ行けば、それは源氏山につながるハイキングの登り口です。その手前の右側に、「たからの庭」という、陶芸教室や工房、ギャラリーがあり、自由に見学できるというので入ってみました。
窯と工房は平場になっており、このあたりはおそらく、かつては浄智寺の塔頭があったのでしょう。谷戸の奥まったところで、山極は切り岸になっており、やぐららしい穴も見えます。
茶室は落ち着いた雰囲気。この日もお茶会をやっていたようで、和服姿の女性方が談笑している声が聞こえました。茶室の周りの敷石の土留めには、浄智寺の名と三つ鱗の寺紋のある瓦が使われています。洒落てますね。
ここは長い間、陶芸家が工房として利用していたのを、代替わりしたことを機会に、浄智寺と協力で公開し、「古民家シェアアトリエin鎌倉・たからの庭」として活用するようにしたそうです。
古民家シェアアトリエin鎌倉
ワークショップスペースでは、料理教室・星空観察・自然観察・ヨガ教室・藍染め体験などを随時行っているほか、金土日にはカフェイベントも。
陶芸体験たからの窯では毎日陶芸教室を実施。
その他、ギャラリーではアクセサリー小物や雑貨、手づくりスモークハムやチーズの販売(金土日のみ)。お弁当や惣菜を提供したお食事会などもやっています。
北鎌倉 たからの庭
電話 0467-25-5742
https://takarano-niwa.com
たからの庭の紅葉
2023年12月8日、紅葉を求めて浄智寺・宝の庭を訪ねました。茶室は予約で茶会が開かれていましたが、カフェは入れたので、和室でコーヒーをいただきました。他の客はなく、ゆっくりとコーヒーを飲み、素晴らしい紅葉を堪能しました。まだしばらくは紅葉も続きそうです。
天柱峰
浄智寺の左の道を進んでいくと、幾つかの民家があり、やがて山道になります。それを上がっていくと、小高いところに石碑が立っていて、ここを天柱峰と言います。ここまでが国指定の史跡とされている浄智寺の境内です。さらに進んでいくと、源氏山に続くハイキングコースとなります。上り下りのある山道ですので、時間の余裕を持って歩いてください。 → 源氏山公園
三世仏の違いの答え
この三仏はいずれも如来ですから、装飾物をなにも付けていません。違いは印相、つまり御手の組み方しかありません。左の阿弥陀如来は第二指を立てて親指に接する定印、中央の釈迦如来は右手を下にした定印、右の弥勒如来は左手を下にした、それぞれ決まった印相つまり定印を結んでいます。