西御門サローネ(里見弴旧居)

 西御門の静かな住宅街にある「西御門サローネ」は、かつて作家の里見弴の邸宅でした。里見弴没後は、石川家が所有していましたが、現在はその味わい深い大正末年の洋館の建物、隣接した里見弴設計の茶室と併せて市民に開放されています。

旧里見弴邸

  • 洋館 1926(大正15)年建造
    木造2階建 延床面積29,419平米
       屋根 銅板瓦棒葺き寄棟
  • 別棟和室 木造2階建 延床面積49,02平米  屋根 草葺き入母屋
  • 設計 里見敦
  • 1994年 鎌倉市重要景観建築物等指定(第8号)
  • 〒248-0004 神奈川県鎌倉市西御門1丁目19−3  0467-23-7477
  • WEB SITE https://nishimikado-salone.com/
  • 公開日 毎週水~日曜 11:00 ─ 17:00(16:30までの入館) 
  • 見学料 300円  ※喫茶室は別料金
西御門サローネ 旧里見敦邸 正面

大正15年に建造

 この建物は大正~昭和に活躍した作家里見とん(1888~1983、本名山内英夫)が、大正末年に自ら設計して建て、常住の住宅としたものです。
 妻の意向によって洋風建築になったので、里見弴は後に自分用に隣に別棟を和風建築で建てたといっています。しかし里見弴はこの家に10年ほどしか住まず、その後、小町、さらに扇ヶ谷などに転居しました。
 1936(昭和11)年以降、この建物は所有者が数度代わり、太平洋戦争の一時期はGHQの宿舎とされ、その後はホテルとして使用されたそうです。1963(昭和38)年に石川氏が所有し、石川邸として使用されていました。
 2008(平成20)年に「西御門サローネ」として公開され、結婚式や集会などにも利用されています。1994(平成6)年には鎌倉市景観重要建築物等に指定され、鎌倉に残る戦前の洋風建築で現存し、活用されているものとして貴重です。ぜひ一度、訪ねてみてください。

ライト風の洋館

 旧里見邸の建物は「鎌倉に斬新なライト風デザインをもたらした最初の住宅」と高く評価されています(吉田剛市『鎌倉近代建築の歴史散歩』1917 港の人)。
 フランク・ロイド・ライト(1867~1959)は20世紀の現代建築に大きな影響を与えた建築家で、日本の帝国ホテルの設計でも有名です。帝国ホテルは1913年に設計。竣工は1923年。その玄関部分は現在、明治村に移築保存されています。

 勾配のゆるやかな屋根、深いひさし、玄関ポーチとパーゴラ(蔓棚)の水平方向の印象が強いデザイン、凸凹を繰り返す建物の輪郭線などがライト風とされるところです。その特徴を探してみてください。
 ライトが好んだ六角形や菱形による斜めの線も随所に見られます。

二階へ
応接室

里見弴設計の和室

 本棟の洋館の背後にあり、内階段で結ばれている和風建築は、里見弴自身が設計した茶室兼書斎です。1929(昭和4)年に建造された、めずらしい高床式の草藁葺きの建物です。

旧里見敦邸の別棟

里見弴という作家

 この家の主であった里見弴は、兄に有島武郎たけお(作家)・生馬いくま(画家)がいる芸術一家の末弟でした。今ではあまり読まれなくなってしまったかもしれませんが、兄の武郎や、志賀直哉などの影響を受け、大正デモクラシーを背景とした、人間の善なる心の有り様を作品に生かし、「最後の白樺派」といわれた作家でした。代表作は『善心悪心』、『多情仏心』、『安城家の人々』などでしょうか。昭和34年に文化勲章を受章しています。
 その作品『彼岸花』『秋日和』が小津安二郎監督によって映画化されたことでもよく知られています。
 代表作『安城家の兄弟』は自伝的作品で、その中にも西御門の家を新築した話が出てきます。それによると、八幡宮の蓮池脇から師範学校(現在国大附属小中学校)の校庭を横切って、西御門のこの家に来たと書いています。1983(昭和58)年、94歳で扇ヶ谷の自宅で死去しました。代表的な「鎌倉文士」といわれた人です。

参考になる本

鎌倉近代建築の歴史散歩
港の人
明治期の近代化の華やぎをいまに伝える歴史ある建物から見どころある戦後の建築物まで、計50件を紹介。古きよき建築をめぐり、鎌倉の奥深い魅力に触れてみませんか。著者𠮷田剛市さんは横浜国立大学名誉教授。工学博士。
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